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ネット良品お得情報〜アフィリエイトで副収入〜 > 悪戦苦闘日記目次 > 2006年9,10月の日記
| 2006年9月1日 精神一到何事か成らざらん もう数年も前からになるのか、管理人には集中力というものがなくなりました。大好きなDVDの映画を観るのでさえ2時間はとても集中できず、ほとんど観る機会はなくなりましたし、大好きな本を読んでも1時間も集中できずにやめてしまうのです。そして、集中できていないから、内容もよく理解できないし、すぐ忘れてしまうのです。 こんな管理人だから、仕事なんて集中できるはずもありません。一時期は一日中パソコンと向かい合っていたのも今は昔、最近は全盛期の1/4くらいしか作業できなくなりました。一時期できていたのも、今考えると、先の見えない不安からくる恐怖心から逃げるために無理矢理やっていただけで、集中力があったとはいえないかもしれません。 精神一到何事か成らざらんということわざがあります。精神を集中して努力すれば、どんな困難でもできないことはないという意味です。精神力の大切さを訴えることわざです。きっと正しいことを表わしているのでしょうけど、今の管理人にはにわかには信じられないことわざでもあります。 う〜ん、精神力か。管理人にそんな強い精神力があれば、現状のような苦境には立っていないっちゅうねん。全ての元凶は、管理人の精神力薄弱、言い換えれば心の弱さからきているのですからね。今までこの日記でさんざん偉そうなことを書いてきましたが、もっとも精神力が足りないのは管理人でしょう。そうに違いありません。 わかってはいるんですよ。わかってはいるんですけど、こればっかりは気合で何とかなるものでもありません。しょせん、一度壊れた者は二度と元に戻ることはないのか、そんな気にさえなってきます。精神を集中してバリバリ働き、力一杯遊んでいた自分は、もう遠い思い出の中にしか存在しません。あの頃に戻れたらなあ。 だけど、弱気になってばかりもいられません。今の自分にできる範囲内だけでも、努力を続けないと本当にダメになってしまいます。わずかな時間しか集中できないのなら、そのときだけは精いっぱい頑張るべきですよね。どんな困難もできないことはないなんて考えることはできないにしても、今よりちょっぴりでも前に進めればそれでいいです。それだけでいいです。 精神力は本当に大切だと思いますよ。精神集中できなければ仕事ができないだけでなく、人生そのものも楽しめなくなってしまいますもんね。まあ、管理人にはこんなことを言う資格はないかもしれませんけど、失敗した経験を持つからこそ忠告もできます。くれぐれも管理人の二の舞だけはならないほうがいいですよ。それは、とてもとても辛いことですから。 |
| 2006年9月2日 千人の指さす所病なくして死す どうも管理人には、大勢の中にあって場の雰囲気を悪くする才能があるようです。くそまじめでのりの悪い管理人が混じるだけで、しらけた空気が漂うのです。考え過ぎかもしれませんけど、考えすぎじゃないです。それがわかるから、いたたまれなくなって自分からその場を去ることになります。 そのくせ、自分がいなくなった後に、残ったみんなが自分のことをどんな風に言っているのかとても気になるのです。「きっと悪口を言っているんだろうなあ」だとか「いなくなってせいせいしたなんて言われているんだろうなあ」と思うと、とても複雑な気持ちになります。なんてけつの穴の小さい人間なんでしょうね、管理人って。 千人の指さす所病なくして死すということわざがあります。千人もの大勢の人間に後ろ指を差されれば、たとえ病気でなくとも死ぬという意味です。わかる、わかるなあ、その気持ち。他人から嫌われるのはとても辛いことですもんね。たとえ後ろ指を差されるような悪いことをしていなくても、仲間からそんな風に思われれば耐えられません。 管理人なんて気が小さいから、千人どころか十人にでも悪口を言われれば、ショックで心に深いダメージを負います。十分に落ち込んでしまいます。しばらく立ち直れません。そして、誰一人味方になってくれる人がいないとわかれば、絶望のため、病でなくとも死にたくもなるでしょう。 それなら、そんなことにならないように、集団に溶け込むように努力すればいいのではと思われるかもしれません。そんなことは百も承知です。管理人だって、嫌われないように精一杯行動しているのです。だけど、そう考えれば考えるほど、余計なことを言って嫌われないように口数は少なくなり、邪魔者になりたくないからおとなしくなってしまうのです。それでは、逆効果なのにね。 結局、他人から好かれる・嫌われるは、一種の天性なのだと思います。生まれついてのものなのです。残念ながら、管理人には好かれる天性は備わっていないようです。だったら、せめて嫌われないようにだけはしたいと思うのは、当然の成り行きです。だから、必然的に大勢の中に入ることを避けるようになってしまいました。寂しいけれど、嫌われるよりはましですから。 自分に自信があれば、他人からどんなことを言われても気にしなくたっていいはずという理屈はあります。でも、人の心はそんなにも強くないのです。千人もの人間に指をさされれば、やりきれない気持ちになるでしょう。管理人はそんなことにならないために、必要以上に他人と接触しないことを選びました。でも、誰にも相手にされないのも、嫌われるのと同じくらい辛いのですけどね。独りきりで生きられたら気が楽なのに、感情というのはうまくいかないものですね。 |
| 2006年9月3日 足るを知る者は富む 管理人には、欲しいものがいっぱいあります。お金はもちろんのこと、若さでしょ、スマートな体でしょ、かっこいい容姿でしょ、賢い頭脳でしょ、他にもいろいろ、考え出したらキリがありません。とにかく、自分にないものはなんでも欲しいです。なんといっても管理人は、欲望のかたまりですから。 しかし、どれも得ることはとても困難です。だって、簡単に得られるものならとっくに実行に移しているはずです。ないからこそ欲しいのです。でも、仮に得ることができたとしても、一体どこで満足するのでしょうか。お金なんてどれだけあってもまだまだ欲しいと思うだろうし、身体的なことだって完全に欲求が満たされることはないでしょう。管理人は欲張りですからね。 足るを知る者は富むということわざがあります。満足することを知っている者は、精神的に富んでいて豊かであるという意味です。そういわれては、欲望にとりとめのない管理人がまるで心の貧しい人間のようではないですか。まあ、確かにその通りなんですけどね。返す言葉もありません。 確かに、欲望むき出しでいつも目を血走らせているようでは、いつまでたっても心が満たされることはありません。どんなに欲望を満たしていっても心に余裕ができませんから、精神的に豊かであるとはとてもいえませんね。そんな人は他人の目から見ても、卑しい人間にしか映らないでしょう。 いくら成長するためにはハングリー精神が必要だとはいえ、それが過ぎると毒になります。そんなことでは、人生を楽しむゆとりもあるわけがないのですから。まずは、少しでも成果が得られたら満足することが大切です。がつがつし過ぎるより、精神的に豊かであるほうが意外とその後も成功しやすいものだと思います。 お金や若さやスマートな体やかっこいい容姿や賢い頭脳も、いくらあったところで精神的に貧しければむなしいだけです。まあ、ある程度は欲しいですけど、高望みし過ぎてもしようがありませんよね。どこまでいっても上には上がいるんだし、そんな人達と比べだしたらキリがないのですから。 管理人も、実際のところはわかっているのです。そんなに望んでも、叶わないことがね。しょせんは、そんな器ではないですもんね。だから、今よりちょっぴりリッチになって、ちょっぴり身体的に成長すれば、きっと満足するでしょう。それで、精神的に豊かになるかどうかは定かではありませんけど。なんせ、管理人は天邪鬼ですから。 |
| 2006年9月4日 寸鉄人を殺す 管理人は、人一倍傷つきやすいようです。良くいえばデリケート、悪くいえば神経質なんですね。他人の言い放った些細な言葉が、深く心に突き刺さり、すぐに落ち込んでしまいます。そして、なかなか忘れることができないのです。下手すると、何年たっても夢にまで出てきたりなんかします。 例えば、知人を飲みに誘ったとします。それをむげに断られると、とても気にしてしまいます。一度だけならまだいいのですが、同じことが二度、三度と続くともう、気になって仕方ありません。「わたしって、そんなに嫌われているのかな?」、「どうせわたしと居ても楽しくないんだ」と、悪いほう、悪いほうへ考えて悩んでしまうのです。実際、嫌われ者だったのかもしれませんけどね。 寸鉄人を殺すということわざがあります。短くて人の心に食い入る言葉で急所を突くたとえです。そうなんですよね。長々と文句を言われるのはまだマシなんです。こちらからも言い訳ができるし、話しているうちにわだかたまりがなくなることもあります。本当に傷つくのは、短い言葉で拒絶されることなんです。もっとひどく傷つくのは、無視されることなんです。 人の心は、案外傷つきやすいものだと思います。相手にしてみれば何気なく口にした言葉が、本人にはとても痛い言葉だったりするのです。そんな言葉を浴び続ければ、深い心の傷が残り、悩み落ち込んで、精神を病むことになる場合もあります。そんな心の弱い人ならば、実際に人を殺すことにつながることにだってなりかねません。 やっぱり、他人に対して発する言葉は、少しは考えて話さないといけないでしょうね。ほんのわずかでいいのです。思いやりがこもってさえいれば、言われたほうにもそれがわかりますから。デリケートな人ほど、些細な言葉に敏感ですので。たったそれだけのことで、傷つくことなく済むのです。 他人事ではなく、管理人も気をつけなくてはいけません。ただでさえ口数が少ないのですから、ちゃんと心を伝えるように努力しないと勘違いされやすいです。こちらが心無い言葉をかければ、相手だって同じように返してきます。そうなれば、人間関係がうまくいくはずがありません。そして、傷つくのは相手だけでなく、自分も同じなのですから。墓穴を掘るようなものです。 会話することで傷つくのなら、いっそのこと誰とも話さなければいい、そう思って管理人はいつからか人付き合いを避けるようになりました。そのことが、余計に自分を追い込むことになるとも気づかずに。ただ、これだけはわかって欲しいです。世の中には、本当に傷つきやすい人間もいるということを。寸鉄人を殺すこともあるのです。くれぐれも言葉には注意しましょうね。お願いです。 |
| 2006年9月5日 他人の疝気を頭痛に病む 管理人は、とてもとても心配性です。普段の生活の何気ない行為ひとつにしても、「こんなことして大丈夫?」、「何か失敗していない?」と気になって仕方ないのです。だから、心配事で夜に眠れないこともしばしばあるくらいです。基本的に臆病なんですね。だけど、管理人が気にするのは自分のことだけです。 他人の疝気を頭痛に病むということわざがあります。他人の腹痛を心配して自分も頭痛になるというたとえです。直接自分に関係のないことに、余計な心配をする愚かしさをいいます。でも、このことわざには、異議ありです。他人のことを心配することは、果たして愚かなことでしょうか。 管理人は、違うと思います。他人のことを心配することは、決して余計なことではないはずです。むしろ、他人の痛みを自分のことのようにわかってあげられるということは、本当に心の優しい人だと思うのです。心の豊かな人に間違いありません。なかなかできることではありませんからね。 残念ながら、管理人は他人のことで頭が痛くなるほど心配できるような、できた人間ではありません。もともと冷たい性格なのもありますけれど、今は自分のことで精一杯なのです。自分の歩く道さえわからなくなって不安でたまらない管理人には、とても他人の心配事まで引き受けることはできないのです。 やっぱり、人間まず自分が一番大事でしょう。自分のことさえ満足にできないのに、とても他人の腹痛まで気にしていられませんよ。他人のことまで心配できるのは、心に余裕があるときに限られます。少なくとも、管理人はそうです。こんな風に考えるのは、管理人の心が荒んでいるからでしょうかね。なんて心の狭い人間なんでしょう。 それでいて、他人からは心配事の相談にのって欲しい、優しくして欲しいなんて考えているのですから、たちが悪いです。そんな自分勝手な都合のよい考えはないですね。世の中、ギブアンドテイクです。他人に優しく接するからこそ、他人からも優しくしてもらえるのだと思います。自分のことしか考えない人間は、他人との関係も疎遠になって当然です。 管理人も、他人の痛みも心配できるように人間的成長が必要ですね。自己中心的な考え方を改めなければ。自分が痛い目にあっているのですから、同様のことで悩んでいる人の気持ちは健全な人よりもわかるはずなのです。その経験を活かせればいいですね。ただ、傷口を舐めあうような関係にはなりたくありませんけどね。それは、自分にも相手にもためにならないですから。 |
| 2006年9月6日 大海は芥を選ばず 管理人は、人の好き嫌いが激しいです。いい年して人見知りするというのも恥ずかしいことですけど、ダメなんです。初対面の人に対しては、まず警戒してかかります。心を開いてフレンドリーに話すなんてまねはとてもできません。こんなだから、ちっとも人脈が拡がらないんですね。 また、一度嫌いになった人とは、なかなか良い関係を築くことができません。嫌ったら最後、その人の悪いところばかりを探すようになってしまって、ドンドン嫌いになっていってしまうのです。良いところなんてちっとも見ようともしませんからね。心が狭いというか、性格が悪いというか、本当に困ったものです。 大海は芥を選ばずということわざがあります。大海が川からゴミが流れ込むのを問題にしないように、大人物は度量が広くて、様々な人を受け入れるという意味です。まさに、管理人とは真逆の人ですね。大人物が大海だとしたら、管理人は水溜りのようなものです。すぐにいっぱいになって、何物も受け入れられないってことでね。 確かに他人から好かれる人物というのは、誰とでもすぐに仲良くなれますもんね。交際の範囲は広いし、来る者は拒まずで分け隔てなく、うまいこと付き合っていますもんね。ひとりひとりに対する細かい心配りもできています。大人物ともなれば、さらに一段とスケールが違うんでしょうな。 管理人のように人を好き嫌いするような人間は、他人からも嫌われますからね。こちらが嫌っていれば、相手からも嫌われて当然です。いくら外面をよくして体裁を取り繕ったところで、かもし出す雰囲気でバレバレです。もともと心を偽って人付き合いできるほど、器用な性格でもないですしね。 大人物にはなれないとしても、管理人だってせめて人並みの交際をしたいと思っています。多くの人達と仲良く付き合いたいと思っています。そのためには、この猫の額のように狭い度量を何とかしないといけませんね。欠点のない人なんていないのですからそんなことばかりを気にするのではなく、まずは相手の良い点を見つけるように心がけたいですね。そうすれば、自然とうまくいくような気がします。 まあ、それができていれば、今頃こんなことで悩んだりしていないのでしょうけど。大体、うじうじ悩んでいる時点で、他人から好まれる性格には程遠いですよね。でも、自分を変えなきゃあ、状況は好転しません。無駄かもしれないですけど、少しはじたばたあがいてみましょうかね。明るく気さくな自分なんて想像もできないですけどね。そんなの、わたしじゃないって気もする? |
| 2006年9月7日 手のない将棋は負け将棋 はあ、お金儲けって難しいものですね。望んでも望んでも、一向に願いはかないません。そんな贅沢は望んでいないのに、ただ最低限の暮らしをしていけるだけのお金を稼ぎたいだけなのに(十分贅沢かな?)。まあ、そんなに簡単にお金儲けができれば、誰も苦労などしないわけですけど。 決して、楽をしてお金を稼ごうなんて気持ちは毛頭ありません(少しはあったかも?)。そんなに甘いものではないことは、重々承知していますから。だから、苦労してもいいから、時間がかかってもかまわないから、とにかくお金を稼ぐ方法を見つけたいです。それも独りだけで何とかできる方法をね。 おそらく、管理人はもう社会に出て人と交わりながら仕事をすることはできないでしょう。それゆえ、パソコンだけで誰にも頼らずお金儲けをしなくてはならないのです。とても難しいことだとは思います。それでも、管理人がこの先も生きていくためには何とかしなくてはなりません。退路はないのです。 だけど、管理人には、お金儲けができる方法が考えつきません。いや、アフィリエイトやデイトレーダーなど儲かる可能性のある方法は残されています。しかし、具体的にどうすればよいかとなると、決め手がありません。やっぱり管理人の壊れかけた脳みそでは、しょせん無理な相談だったのかなあ。 手のない将棋は負け将棋ということわざがあります。攻めるにも守るにも指す手がまったくない将棋は負け将棋であることから、方策のないところに勝算はないという意味です。そうですよね。何の作戦もなく、むやみに行動したところで、待っているのは失敗だけです。勝つ見込みなどありはしません。 管理人は、まさに今手詰まりの状況です。八方ふさがりで指す手がまったくなく、投了寸前です。限りなく負けが近づいています。それでも、勝負を投げるわけにはいきません。最後まで諦めないで、打つ手を探し続けなくてはいけないのです。負けはすなわち、生きることを放棄することですから。 まだ何か方策がきっとあるはずです。今はまだ体調が悪いから見つかっていないだけで、本当は見えないところにも道が残されているはずです。たとえわずかでも、その可能性に賭けたいと思います。勝負が始まったばかりで指す手がまったくない将棋なんて、めったにないのですから。反撃のために、まずは体調を戻してやる気を復活させることが第一ですね。 |
| 2006年9月8日 爪で拾って箕で零す 自慢じゃないですけど、管理人はずっと良い子だったと思います。数年前までは。グレたことなど一度もなく、ちゃんと勉強して高校、大学と浪人することなく進学しました。そして、それなりの会社に入り、まじめに働き続けて、それなりの責任ある役職まで問題なく就くことができました。 それというのも、小学校の頃からコツコツとまじめに人生を積み重ねてきた結果だったと思います。そりゃあ、運が良かったこともしばしばありますけれど、それなりにその時その時を頑張ってきたおかげではなかったでしょうか。まじめさだけは、管理人の唯一の取り柄といえますからね。 ところが、数年前に挫折したことをきっかけに、それまで築き上げてきた全てを失ってしまいました。学歴も、地位も、名誉も、信頼も、健康も、人間関係までも失くしてしまいました。たった一度だけの挫折なのに。今の管理人は、普通の生活も満足に送ることができない、ろくでなしのおっさんに過ぎません。 爪で拾って箕で零すということわざがあります。爪の先で少しずつ拾い集めたものを箕でごっそり零すことから、苦心して得たものを無造作に使ってしまうたとえです。管理人にぴったりのことわざですね。せっかくの小さい頃から苦労してきたことも思慮が足りないばかりに台無しにして、いっぺんに水の泡と化したのですから。ごっそり零すどころか、なにひとつ残りませんでした。 本当にもったいないことをしました。いくら病気のためとはいえ、もう少し我慢すればよかったのにと、後悔してばかりです。でも、あのまま続ければ最悪の事態も考えられたのです。仕方がなかったんです。諦めて、納得するしかありません。あ〜あ、なぜ病気になどなってしまったんでしょうね。 ただ、何もかも失ったことで、良かったと思える一面もあります。それは、気が楽になったことです。それまでは周囲の期待に応えようと、休まず走り続けてきたのです。ある意味、それは見えないプレッシャーでした。どんなときも失敗は許されなかったから。それが今は失うものなど何もないから、マイペースで生きていけるのです。もう本心を偽って、無理する必要はなくなりました。 零してしまったものは、もう元には戻りません。しかし、これからまた新しいものを拾い集めることはできます。今までのように駆け足で拾い集めることはできなくなりましたが、ゆっくりと少しずつまた拾い集めていくことにしましょう。そして、今度こそ零さないように、大事に大事に使っていくことにしましょう。 |
| 2006年9月9日 角を矯めて牛を殺す 冷静に考えてみると、管理人はなんて器の小さい人間なんだと改めて思います。小さな失敗でもとても気にしてすぐ落ち込むし、わずかなミスでも気になって仕方なくて落ち着きません。完璧主義者のようにも見えますけれど、そんな良いものではなく、正体はただの心の狭い小心者です。 自分だけのすることに限っていれば問題は少ないですが、他人にもそれを求めるから始末が悪いです。だから、いつも何事に対しても疑ってかかり、あら探ししてしまうんです。ほんと、はたから見れば口うるさくて嫌な人間だと思いますよ。管理人のような人が自分の周りにいれば、自分でもうっとうしいですもんね。 角を矯めて牛を殺すということわざがあります。角の曲がりを直そうとして牛を殺してしまうことから、少しの欠点を直そうとして、かえってそのものをダメにしてしまうたとえです。つまらぬ末端の事柄にこだわって肝心な根本を損なうことをいいます。小さなことばかり気にしていては、大きな成功はできないということですね。 ミスのない人間なんているわけがないのです。致命的なミスならともかく、小さなミスくらいどうってことないはずです。ミスしたことを悔やんでいる暇があれば、その間に修正すればいいだけのことです。失敗したことを反省するのは大事なことですけど、いつまでもそれにこだわって次に進めなくては意味がありません。 そして、結果だけがすべてじゃないのです。うまくいくときも、たまたま運悪くうまくいかないときだってありますよ。大切なのは、結果だけでなく、結果に至るまでの経緯じゃないですかね。全力を尽くしたのなら、結果が悪くても恥じることはないと思います。一所懸命やった経験は、血となり肉となり、決して無駄にならないのですから。 それに、小さなことをいちいち気にしていたら、とても疲れます。ずっと緊張しているのと同じですからね。常に心に余裕がなければ、そりゃあ次第に性格も荒んできますよ。そうなれば、嫌な人間になっちゃうんです。管理人のようにね。それで人間関係を悪くしていては、元も子もないですわな。 管理人も、もっと大きな人間にならないといけませんね。小さな失敗やミスを気にしないというか許すことができる、無頓着な人間のほうが案外成功するのだと思います。自分にも他人にも厳しくしすぎれば、心休まるときがありませんから、自分で自分を追い詰めているようなものです。本体が疲れ果てて死んでしまうようでは、何にもなりません。もっと気楽に生きましょうよ。ね。もっとも、それができれば苦労してませんけどね。 |
| 2006年9月10日 天は自ら助くるものを助く 管理人は、わけあって独りだけの力でお金を稼ぐことを選びました。まあ、他に選択肢がなかっただけですけどね。だけど、今独りだけで仕事をすることの難しさを痛感しています。生活できるほどの収入を得ることはなかなか困難です。やっぱり、思い通りになるほど、世の中そんなに甘くはないのかもしれません。 独りだけで仕事をしていると、人を当てにすることができません。どんなに苦しいときでも、誰も助けてはくれません。だれも手伝ってはくれません。それどころか、相談する相手さえいないのです。頼れるものは己の力のみ、他にはありません。自分で全てをしなければ、何も進まないのです。ときに、それはとても辛いと感じることがあります。 また、どんな失敗をしても人のせいにすることはできません。会社なら、「上司の命令だから」だとか「部下が悪いから」などと責任から逃げることもできます。だけど、独りきりで仕事をしていては、言い訳は一切通用しません。全てのことが自己責任で成り立っていますから、失敗するのは自分のせいです。厳しい世界です。 それに、ときには寂しいという気持ちもありますね。喜びや苦しみを分かち合う仲間がいないのですからね。人間関係で悩む必要がないから気楽ではあるものの、その反面孤独であることは否めません。人の感情なんて勝手なもので、あればあったで煩わしいと感じるのに、なければないで不満に思うのです。感情もコントロールできなくては、やっていけません。 でも、どんなに辛くても厳しくても寂しくても、管理人にはもう独りだけでやっていくしか他に生きていく手立てがありません。病気を発症して以来、普通の生活も満足にできず、他人との会話さえ恐れている管理人がまともな社会生活を送れるはずがありませんから。自らの力で道を切り拓くしかないのです。 天は自ら助くるものを助くということわざがあります。自分で考え自分で行動し、他人を当てにせず、自ら奮闘努力してやまない人には自然に幸福がやってくるという意味です。本当にそうであって欲しいです。でも、まだまだ奮闘努力が足りなさ過ぎですね。だから、幸福には程遠いのかな? 管理人の望みなんてちっぽけなものです。独りだけでも生きていけるだけのお金が稼げて、独りきりでも耐えられる心を持ちたいだけです。暖かい家族を持って、出世してお金にゆとりがあり、仲間に囲まれて楽しく暮らし、健康で長生きするなんて人並みの幸福などたぶん得られないでしょうから。せめてちっぽけな望みが叶うように、努力したいですね。ダメならダメで仕方ないか。それだけの人間だったというだけのことです。 |
| 2006年9月11日 天は二物を与えず 世の中には、頭が良くて、性格もよく、スポーツ万能で、ルックスもすばらしいなんて人間もいるものです。芸能人やプロスポーツ選手なんてまさにそうですよね。うらやましいことです。それに比べれば管理人のなんて・・・(比べること自体が間違っていますか)。まったく、世の中なんて不公平ですよ。 天は二物を与えずということわざがあります。いいところばかりが揃っている人間なんていないという意味です。本当にそうでしょうか。管理人の目から見れば、そんな人間はたくさんいるように見えるのですが。それは管理人の嫉妬心が起こした勘違い?いや、そんなことはありませんよ。 まあ、他人の目から見るとうらやましがられる人達にも、人知れない欠点があるのかもしれませんけどね。影で隠れた努力をしているのかもしれないしね。それでも、たくさんのいいところを持っている人というのは、やっぱりうらやましいことに変わりはないです。いっそ人生そっくり代わって欲しいぐらいです。 天は二物を与えずということは、逆に考えれば、最低一物は与えるということかな?さて、管理人のいいところはといえば・・・。ムッ、ムムッ、ムムムッ。おーっ、なんてこったい!いいところなんてひとつもないじゃないですか。悪いところならすぐに十でも二十でも言えるというのに。参ったなあ。 頭が特別良いわけではなく(記憶力はあっても回転は遅い)、性格がよいわけでもなく(むしろ最悪かもしれない)、スポーツ音痴で(汗を流す量なら負けませんが)、ルックスも人並み以下(太っている分さらに倍率ドン)なんだもんなあ。書いてて空しくなるよね。よく恥ずかしげもなく生きてこれたものです。 もし、ひとつだけ天からいいところをもらえるというのなら、管理人は強い心が欲しかったです。ちっちゃなことでうじうじくよくよ悩むような現在の弱い心ではなく、どんなことが起ころうとどこ吹く風で笑って過ごせるような強い心が欲しかったです。そうすれば、管理人の人生もちっとはマシなものになっていたと思います。もはや叶わぬ夢でしかありませんけど。 ないものねだりしても、仕方ないですね。世の中が不公平なのは、これに限ったことではないじゃないですか。もう慣れましたよ。いいじゃん、いいところなんてなくったって、生きることはできるんです。生きてさえいれば、良いこともあるかもしれません。それに期待することにしましょうか。 |
| 2006年9月12日 叩けよさらば開かれん 管理人は、行動が基本的に待ちの姿勢です。どんなことでも、何かが起こるまで、相手が何かをしてくれるまで、じっとしています。数年前に病気になってからは、一段とこの傾向が強くなっているようです。我慢強いと言うべきか、他力本願と言うべきか。たぶん、いやきっと後者ですね。 この生き方は、とてもストレスが溜まるんです。自分が何もしないのに思い通りに事が進むことなんて、めったにあるはずがありませんからね。それでも、管理人は待ち続けます。イライラしながら、不満に思いながら。それなら、自分から行動せいって話ですが、それがなかなかできないんです。 新しいことを始めるのが怖いんです。新しいことに挑戦する勇気がないんです。新しいことをしたばっかりに、今の生活まで失われるのではないかというのが心配でたまりません。決して、今の生活に満足しているわけでもないのにね。それどころか、現状はどん底に近いというのにね。それでも、不安はつきないのです。 結局、管理人は逃げているのだ。現実から目を背けて逃げているのだ。そのうち誰かが助けてくれる、いずれ幸運の時期がやってくるなどと自分に都合のいい幻想を夢見て。そんなはずがないのは、これまでの人生で嫌というほどわかっているというのに。同じ過ちを繰り返そうとしている。 自分を救えるのは、自分だけなんです。他人にそれを求めるほうが野暮ってものです。だから、新しいことに向かっていく積極的な気持ちがなければ、現状を変えることなどできるはずがないのです。待っていたって何も変わらない、良くて現状維持、悪くすればさらに状況が悪くなるだけです。 叩けよさらば開かれんということわざがあります。何事にせよじっと待っているのではなく、積極的な態度・心得を執ることで扉は開かれるという意味です。その通りだと思います。扉を叩かなければ、誰も気づいてくれることはなく、誰も扉を開けてくれるはずもありませんよね。簡単な理屈です。叩いて扉が開かれれば、良くも悪くも新しい世界が待っているのです。 わかってはいるのです。今の自分の行動姿勢が間違っているということはね。だけど、理屈では割り切れない気持ちもあるのです。今までの人生における失敗がトラウマとなって、管理人を臆病にさせています。傷が癒えるまでは、まだ時間がかかりそうです。でも、時間は無限にあるわけではありません。何とかしなければと思う自分がいますが、何ともできないと考える自分もいます。行動に移せない自分が歯がゆいです。 |
| 2006年9月13日 遠きに行くは必ず近きよりす 何度も書いていますが、管理人の最終目標はパソコンで仕事をして、独りでも生きていけるだけの収入を得ることです。そう思い続けて早2年以上が経過してしまいました。未だ目標には程遠く、何の手ごたえさえつかめていません。それどころか、どちらへ進むむべきか方向さえ見失いそうです。 「本当に、パソコンだけで収入を得るなんて夢みたいなことが実現できるのか?」と根本的な疑問さえ浮かんできます。実際に稼いでいる人達がいることは事実ですから可能なはずなんですが、じゃあ「自分にもできるのか?」ということになると自信がまったくなくなりました。今は、不安で不安で仕方がないんです。 遠きに行くは必ず近きよりすということわざがあります。遠くに行くには、必ず近いところから歩き始めることから、それと同様に、物事を行うにはそれ相応の順序を追って、手近なところから堅実に進めなければならないという意味です。一度に無理をすれば失敗しますよといっているのですね。 思えば、管理人は焦りすぎているのかもしれません。パソコンで生活できるだけの収入を得るなんてことは、一足飛びにできるわけがないのです。そんな簡単に実現できるなら、誰もがやっていますよね。考え続けて2年以上といったところで、逆にいえばたったの2年しか経っていないのです。少しでも収入が得られたことを喜ぶべきでしょう。 まず第一に管理人がするべきことは、健康な身体と健全な精神を取り戻すことです。まとまった収入を得る方法を考えるのは、その後です。新しいことに挑戦することを極端に恐れ、まともな思考さえできない今の精神状態では、物事を成し遂げることなどできるはずがありませんから。 そして、次はやる気をもう一度奮い立たせることです。やる気がなければ、何もできません。何もしないで立ち止まったまま未来を不安に思っていても、不安はますます増大していくばかりです。やる気を思い出して前に向かって歩き出さなければ、遠くにある目標に近づけるわけもないのです。 健康とやる気、もっとも基礎となるべきことをおろそかにしていたようです。焦りは禁物です。焦りは不安を呼び、精神状態をさらに不安定にさせますから。ゆっくりでもいい、とにかく前向きに考えられるようになるまで回復を待とうと思います。時間を無駄にするようですが、時間が解決することもあるのです。無理はしない、お金儲けを考えるのは、足元を固めてからです。 |
| 2006年9月14日 取らぬ狸の皮算用 管理人は、計画を立てるのが大好きです。いろんなことを想像して、あれをしてこれをして、そうするとこうなってと事細かに計画を練ります。計画を立てるときは、夢いっぱいでいいんですよね。そういえば、小学校のときの夏休み前に作る計画表も書ききれないほどたくさん書いたっけなあ。 人生の計画も立てていたんですけどねえ。計画では今頃幸せな生活を送って、順風満帆の人生を意気揚々と過ごしていたはずなんですけどねえ。おかしいんです。どう考えても、計画通りいかないんです。そういえば、小学校の頃の夏休みの計画も、守れたためしがなかったよなあ。いつも夏休みの終わりに慌てて帳尻を合わせようと悪戦苦闘したんでした。 こういうのを取らぬ狸の皮算用というのでしょうね。まだ捕まえていない狸の皮を売って儲ける計算をすることから、不確実な事柄に期待して、それを元にいろいろな計画を立てることを意味します。管理人も何を根拠に幸せな人生が待っていると期待して、人生計画を立てていたんだかね。そんな資格もないくせに。 結局、自分の能力も顧みず、都合のいい計画ばかり立てても意味がありません。そんなものは計画ではなく、ただの願望に過ぎないのです。そんな先のことばかり夢見ていないで、目の前のやるべきことを着実にこなしていくべきだと思います。夢をでっかくもつことは良いですけど、夢と現実はちゃんと区別しないといけませんね。 逆にいえば、悪いことばかりを先読みして、悲観する必要もありません。「どうせ悪い結果になるに違いない」、「何をしたってうまくいかないに決まっている」と考えて行動に移せないでいるのは、都合のいい計画を立てるよりもっと馬鹿げています。だって、自ら人生を捨てているようなものですから。 何事もやってみないとわからないと思います。明るい未来が待っているとは限りませんが、全てが悪い結果になるとも限らないのです。やってみてダメだったら、そのときはそのときです。また、新たに計画を立てればいいじゃありませんか。失敗を恐れて動かないでいれば、悪い結果にはならないかもしれませんが、何も変わることはないのです。 と書いてはみたものの、今の管理人は悪いほうの思考に陥っています。明るい未来なんて信じられなくて計画の見通しも立てられず、亀のように縮こまってガタガタ震えています。このままでいても、ジリ貧なのにね。今はとりあえず取らぬ狸の皮算用でもいいですから、前向きな考え方ができるようにならなければ、やる気さえ出ません。まずは、そこからですね。それができたら、今度こそはちゃんと確実な計画を立てたいな。 |
| 2006年9月15日 流れる水は腐らず ずいぶんと長い間、何もできない日々が続いています。いや、できないということを口実にして何もしようとしないというほうが正しいのかもしれません。一時期にあった焦りのようなものも少なくなり、何かをしようという気力さえ失いつつあります。今はもう、何を目標にして行動すればいいかさえわからなくなってしまいました。 何もしないと、身体的に退化していくようです。動かないから体はぶくぶくと太る一方で、動けば動いたで体中の関節がボキボキなって必要以上に汗が噴出すというように、完全になまりきっています。頭の回転も鈍る一方で、簡単な漢字も読めず、会話に答える反応も遅くなってどうしようもありません。まるで、使わない部分がサビついて腐っていくみたいです。 また、何もしないでいるから、考えごとが増えます。それも、悪いほう悪いほうへと考えが及んでいきます。自分がとんでもなく悪いことをしているように思えてくるし、他人に対してもひねくれた見方をするようになってしまいます。先のことなど考えられず、悔やんでも仕方のない過去の嫌な出来事を繰り返し思い出したりもします。独りでふてくされて、腐っているんです。 流れる水は腐らずということわざがあります。常に流れている水は腐ることはないが、溜まって動かない水は腐ることから、常に活動しているものには停滞がないという意味です。そうなんですね。人間は、活動していないとドンドン腐っていく生き物なんです。今の管理人のようにね。 流れる水もせき止められなければ、溜まることはありません。また、せき止められた直後は、水だって渦を巻いたり、並みを起こしたり動き続けるんです。それと同じで、人も挫折がなければずっと活動していられたのです。また、挫折直後は何とかしようと必死であがくものです。でも、抵抗してもどうにもならないとわかったとき、活動する気力もなくなるのです。せき止められた水が徐々に静まっていくように。 腐り始めれば、水が停滞している限り、腐食は拡がっていきます。きれいな部分まで、ドンドン犯されていきます。人間でいえば、健全だった心と体が不健全となり、時間の経過とともに悪化していくのです。これを食い止めるには、再び流れ出さなくては、活動を再開しなければならないでしょう。 せき止められた水を再び流すためには、何かきっかけが必要です。ふさいでいるものに穴を開けるようなきっかけがです。これが、なかなかに難しいのです。ふさいでいるものが長年の間に頑丈になってしまっているから。でも、きっかけを見つけなければますます腐る一方です。とにかく小さくてもいい、きっかけを探したいと思います。小さな流れも、そのうち大きな流れへとつながるはずです。そして、いつか元通り流れ出せればいいですけどね。 |
| 2006年9月16日 虎を描いて狗に類す 生きていくことは、日々勉強ですね。学校で学ぶことだけが、勉強ではありませんよ。日常生活においても、いろいろな場面で勉強することはあるものです。例えば、何気ない会話の中から上手な人付き合いの仕方を学んだり、みんなから尊敬される人の振る舞いをみて参考にしたりということです。 ただ、勉強したからといって、勉強したことがうまく活かせるかというとそうでもなかったりします。他人が巧みな話術で人々の心をつかんだからといって、その会話の内容を別の機会にそのまま自分が話したとしてもうまく気持ちが伝わらないことってあるでしょう。心をつかむどころか逆にしらけさせてしまうこともよくある失敗ですね。 虎を描いて狗に類すということわざがあります。物事を学んで失敗するたとえで、素質のない者が優れた人の真似をすると、かえって軽薄になるという意味です。う〜ん、ありがちなことですよね。本人はよく学んだつもりでも本質を理解していないと、思わぬ失敗をするものです。 結局、人の真似をしても失敗することのほうが多いと思います。学んだことを自分のものにして応用の効くような才能溢れる人なら別ですよ。普通の凡人は、優れた人からすべてを学んだつもりで、ひねりもなく真似をするからうまくいかないんです。そんなものは、ただの劣化コピーでしかないのですから。 やっぱり、優れた人のすることというのは、魂がこもっているというか、重みがあるんですね。うわべだけ真似しても、中身まで真似できるものではないんです。上で書いた会話の例をとってみても、すばらしい人格者が話す言葉だから人々の心をつかむのであって、普通の人が言葉だけ借りても誰の心にも響かないんですよ。軽いんです。 だから、学ぶことは大切ですが、学んだことをそのまま真似するのではなく、自分に合わせて変えることがもっと大事です。人それぞれ個性というものがあるのですから、個性によってやり方も変わるはずなんです。自分なりの個性を活かして気持ちを込めることができれば、ただの真似に終わることなく、それなりに重みがでるものだと思います。 他人は他人、自分は自分なんです。他人にできても自分にできないこともあるし、逆に他人に真似できない自分だけの優れたこともあるんです。素質の違いはどうしようもないとしても、自分なりにできることを一所懸命やるしかないじゃないですか。そのほうが、真似よりもよっぽど価値のあるものだと思いますし、成功にも近いと思いますよ。ベストを尽くしましょう。 |
| 2006年9月17日 鳴く猫は鼠を取らぬ 近頃の日記を読み返すと、ひどいですね。愚痴とか弱音とかばっかりで、ろくなことを書いていません。役に立つ情報なんてまるでありません。タイトルの”アフィリエイト悪戦苦闘日記”とは、かけ離れた内容になっています。それもそのはず、管理人の心境的にアフィリエイトどころではなく、アフィリエイトの活動が停止したままですからね。 一応、偉そうにもこうするべきだという結論は書くものの、ちっとも実行には至っていません。管理人の中には、こうするべきだという気持ちはあるんですよ。やらなくちゃいけないということもわかっています。でも、心が体がいうことをきいてくれません。本当に、口先ばかりのダメなわたしです。 鳴く猫は鼠を取らぬということわざがあります。よく鳴く猫は鼠を取らないことから、よくしゃべる者はかえって実行力がないという意味です。管理人がまさにこれです。たくさんの言葉を書いてごまかしていかにも何か行動しているように見せかけていますが、実は何一つできていません。ただ、こうありたいという願望を書き並べるのみです。 実際、実行力のある人は大きなことは口にせず、やるべきことは誰に言われるまでもなく黙って実行しているものです。無駄口を叩いている暇があれば、その分行動したほうが確実ですもんね。結局、よくしゃべるということは、自分を良く見せようとするパフォーマンスに過ぎません。よくしゃべる人の全員が全員そうだとは言いませんけどね。 ひとつだけ言い訳をすると、管理人の場合、この日記を書いているのは、自分に対する戒めのためでもあります。管理人は頭が悪いから、常にこうするべきだ、こうあるべきだという指針を書き残しておかないとすぐに怠惰な方向に流されてしまうのです。こうして日記に書くことによって、人として最低限の気持ちを何とかつないでいるのです。 だけど、実行する力がなければ、やっぱり意味がないですね。気持ちだけあったところで、現実は何も変わりませんから。理想をかかげるだけで実行できない自分に、余計イライラするだけです。それはわかってはいるものの、それでも動けない、動こうとしない自分が嫌になります。なぜたった一歩が踏み出せないんでしょうね。 まだまだこの先しばらくは、こんな状態が続くと思います。それでも、日記だけはできるだけ書き続けたいです。有言実行には程遠いですけど、せめて理想の自分だけは忘れないようにしたいですから。いつか実行できる力が回復するその日まで、体が動かない分、口だけでも動かしておこうかと思います。 |
| 2006年9月18日 鳶も居ずまいから鷹に見える 管理人は、威厳という言葉とは無縁の人間です。何をするにしても自分に自信がないからいつもオドオドしていて、少しでも何か想定外のことがあればオロオロです。最近なんか、外出すると冷や汗が止まらないくらいです。まったく、でっかい図体の割には、本当に見掛け倒しで困ったものです。 それでも昔は、根拠のない自信を持っていましたから、態度がでかかったのですけどね。中学生くらいのときがピークかな?その後は年を重ねるごとに臆病になっていくばかりです。やっぱり現実を知れば知るほど、自信は失われるものなんですかね。それが態度に表れているから、みっともないです。 良い悪いはともかくとして、自分に自信を持っていた中学生の頃のほうが今よりよっぽどかっこよかったと思います。自信があるから何事にも積極的に発言・行動していたし、リーダーシップなんかもとったりしていましたから。周りの人からも、こういった人間のほうが信頼してもらえるはずです。 鳶も居ずまいから鷹に見えるということわざがあります。鳶も威厳を持った態度・動作をしていれば鷹に見える、立ち居振る舞い・動作が正しければ、身分が低い者でも身分が高く見えるという意味です。まあ、錯覚でしかないのですけど、どうせなら他人から良く見られたいと思うのは当然ですよね。 管理人も、能力・才能からいえば決して鷹ではありません。鳶でも言い過ぎなくらいで、雀のような弱小な生き物です。でも、鳶でも自信を持って正しい行動すれば、鷹に見間違えてくれる人もいるのです(雀じゃあ無理かもしれませんけど)。鷹そのものにはなれないにしても、鷹のようにはなれるんです。 自分が間違っていないのなら、恐れる必要などないはずなんです。正しいことをしているのなら、自信を持っていいはずなんです。わざわざ弱い自分の正体をさらけ出すことはありません。ましてや、鷹や鳶ではなく人間なんです。同じ人間なんですから、そういう行動を続けていけば、いつかきっと身分の高い人間・威厳のある人間に身も心も近づけると思います。 管理人だって、卑屈な態度をとらなければならないほど、悪いことをしているわけではないはずなんです。もっと、自分に自信を持ってもいいんじゃないでしょうかね。自分が鳶だと思って行動しているからダメなんです。自分は鷹だと暗示をかけて、堂々と行動すればうまくいくかもしれませんね。要は気の持ちようですね。 |
| 2006年9月19日 何もせずにいる事は悪を為している事なり 最近の管理人は、すこぶる体調が悪いです。身も心も絶不調といっていいくらい悪いです。だから、何をするのも億劫で、何もする気が起きません。仕事どころか、大好きだったゲームをすることや録り溜めたバラエティ番組を見ることもできずにいます。ただ起きて、何もせぬまま一日が過ぎて、寝るだけです。まあ、やる気が出ないのは今に始まったことではありませんけどね。 起きているだけで、いろんな不安が襲ってきてとても辛いのです。かといって、悩み事で頭がいっぱいで夜も満足に眠れません。この悪循環が積み重なって、さらに体調は悪くなるばかりです。これじゃあ、何もせずにいても仕方がないですよね。うん、不可抗力ですよ。って、自分で自分に言い訳をしてみたりして。ただ単に逃げてるだけか。 ただ、何もしないということは、良いこともできませんが、悪いことも行いようがありません。つまり、誰の役にも立てない代わり、誰にも迷惑をかけることがないので、プラスマイナスゼロです。極論すれば、居ても居なくても同じことなんです。じゃあ何のために生きてるのといわれれば、そんなことは本人にもわかるはずもありません。 何もせずにいる事は悪を為している事なりということわざがあります。人はこの世に生まれてきた以上は自ら進んで善をなさねばならぬ、何もしないでいることは人の道に反する悪行であるという意味です。うわ〜、きっついことわざですね。人の道ときましたか。それじゃあ、管理人は人の道を外れた大悪人ということですね。 何もできないってことは、そんなに悪いことなのかなあ?そういわれれば、そんな気がしてきました。確かに、一部の人には心配かけたり、食べさせてもらったり、住まわせてもらったりといろいろと負担をかけていますよね。それに、働かない人間がいるというだけで、世間的にも道徳的にも周りの人間に悪影響を及ぼしているのも否めませんか。 悪いことをしているというのはわかりました。いや、最初からわかっていたんですけどね。いつも心のどこかに罪悪感がありましたから。だってそうでしょう。普通の人が当たり前にできることさえ、管理人にはできないんですもんね。それで悪いと感じないほど鈍感ではありません。 だからといって、今すぐ行動を開始できるものでもないので困ります。今の管理人には、行動するためのエネルギーが足りません。わかっていても何もできないジレンマ、とても辛いです。いつか以前のように行動することができる日が来るのでしょうか。それさえわかりません。果たして、悪を為してまで生きているほどの価値が管理人にあるのかどうか。 |
| 2006年9月20日 何でも来いに名人なし 昔の管理人は、どんなことでも人並みぐらいにはできました。勉強でもスポーツでも(スマートだった頃だけは)、それほど苦労せずともある程度無難にこなしたものです。昔からごまかすのだけは得意だったからかな?また、苦手なことは避けていたから、何でもできると勘違いしていたのかも? それがいけなかったのかもしれません。中途半端な身につけ方しかしてこなかったから、今となっては何一つ残っているものがないのです。できたつもりでいたことがちっとも思い出せません。さらに、年をとったせいか、記憶力も落ちているし、体力もなくなっているから余計にそう感じます。 何でも来いに名人なしということわざがあります。さあ何でも来い、どんなことでもやってやるという人に名人はいない、器用な人は、一応何でもかなりの程度にやってのけるものであるが、そのどれをとっても一芸に秀でた名人といえる腕前にはなっていないものであるという意味です。 確かにその通りでしょう。何でもできてしまうから、一所懸命覚えて身につけようというひたむきさが足りません。また、いろんなことに目移りするからひとつのことを極めようとする集中力もありません。それに、挫折を知らないから、できなくて悔しいから必ず習得してやるという執念に乏しいのです。 結局、何でもこなすオールラウンダーでは何事も極めることができないと思います。まあ、本当の天才ならともかく、普通の人はそんなに器用じゃないものです。それなら、他のことはできなくてもこれだけは誰にも負けないというスペシャリストのほうが良いです。そのほうが自信が持てるし、手に職があるから食うに困りません。 管理人は、会社では管理職としてオールラウンダーたることを要求されてきました。そのことに何の疑問ももちませんでしたが、いざ会社から離れてみると、自分には決め手となる何の武器もないことに気づきました。だから、未だにやるべきことが決められないでフラフラしているわけです。こんなことなら、ひとつでも特別な技術を習得しておくべきだったと後悔しています。 今の管理人は、昔のように何でもこなせるはずもなく、むしろ何一つ満足にできない状態です。だからこそ、せめて自分にできることを見つけて、それを精一杯頑張って身につけて、生きるための糧としたいです。今更名人にはなれないでしょうけど、自分に自信が持てる程度にはなりたいですね。そうしなきゃあいけないんです。でも、こんな自分に何かできるのかなあ。不安です。 |
| 2006年9月21日 泥を打てば面へはねる 管理人は、「他人に迷惑になることだけはしない」ということを心がけています。だから、決められたルールは、大抵の場合、守ります。人の嫌がることは極力しません。まあ、当たり前といえば当たり前なんでしょうけど。もっとも、気が小さいから違反する勇気がなく、周りに気を使いすぎているという話もありますけどね。 そんな管理人だから、平気で他人に迷惑をかける人の気がしれません。例えば、場所を選ばず車を違法駐車したり、電車でやたらと汚い足を組んだり大声で話したりなどの行為をする人は、常識を疑いたくなります。インターネットでも迷惑メールの乱発や掲示板への心ない書き込みなどする人には、本当に頭にきます。 自分がされれば嫌なことをなぜするんでしょう?そんな心ない人達ばかりになれば、廻り廻って自分も迷惑を被ることになるでしょうにね。それに、そんなことばかりしていれば周りの人間から嫌われることになり、喧嘩や刑罰など無用のトラブルに巻き込まれることも多くなるでしょう。とても危険です。自分で自分の首を絞めているようなものです。 泥を打てば面へはねるということわざがあります。人を困らせようとすると、その報いが自分に跳ね返ってくるものであるという意味です。まったくその通りだと思います。泥も打たなければはねないのに、わざわざ打つから面へはねて嫌な思いをすることになるわけですね。泥なんか避けて通ればいいのにね。 他人には迷惑をかけない管理人ですが、身内には多大な迷惑をかけています。無駄飯食いの甲斐性なしですから。病気を言い訳にして、甘えているんです。悪いことだとは知りつつも、こればっかりはわかっていてもどうすることもできずにいます。本当に申し訳なく思っています。 だけど、そんな管理人でも困らせるようなまねだけはしないと決めています。この日記では本音を書いていますけど、身内の前ではどんなに辛くても、苦しくても、悲しくても一切口にしません。それが、管理人のできる精一杯の意地です。必要以上に心配をかけることになるし、家族の雰囲気を壊すことになるからです。ただでさえお荷物なんですから、これ以上負担をかけるわけにはいきません。 何のことはない、悲しむ家族の顔を見て自分が辛くなるのが嫌なだけですけどね。そう、自分のためでもあるんです。人を困らせようとしなければ、自分が報いを受けることもないわけですから。これからも身内には迷惑をかけっぱなしかもしれませんけど、最低限困らせないよう努力しますので、勘弁してくださいね。 |
| 2006年9月22日 寝ていて人を起こすな 会社に勤めていた頃、嫌な上司というのがいたものです。机の前にふんぞり返って命令するばかりで、自分では何一つ行動しようとしない上司です。それでいて、失敗も仕事をした部下のせいにして責任をとりもしない、本当に最低です。「こんな上司の言うことなんか聞くもんか」って気持ちになって当然です。 それを見て体験していたから、自分はそうはならないように気をつけて仕事をしていました。誰よりも早く出勤して働き、休憩もとらず、部下や同僚と同じ仕事を率先してこなすことにしていたのです。そうすることで、不思議なことに命令しなくてもみんなまじめに仕事をしてくれたんです。気持ちも通じ合えましたしね。良い関係を築くことができました。 やっぱり、言葉だけではどんなに立派なことを話そうとも、人は動いてくれませんね。仕事を頼むにしても、まず自分が経験してその仕事にはどんな苦労があってどれくらい難しいか知った上で頼むと、反応は大違いです。人間は気持ちで動くものですから、自分を理解してくれて、苦労をともにした人に対しては協力しようと思いますもんね。 寝ていて人を起こすなということわざがあります。自分が動かずにいて人を動かそうと考えてはいけない、人を働かせようとするなら、まず率先して自ら範を示せという意味です。実際、その通りでしたからね。まず自分が行動で示すことが、人に働いてもらう一番の方法だと思います。 だけど、そんなバリバリ働いていた管理人も遠い過去の話、今は寝てばかりの日々です。自ら動こうとしないし、なまりきって動けやしません。普通の生活でさえ満足に送れない始末で先頭切って動けるはずもなく、とても模範となるような生き方をしているとはいえない状態です。 こんなだから、人に助けを求めることなどできるわけがないし、してはいけないと思っています。自分が動かないのに人にだけ働いてと頼むなんて虫がよすぎますからね。自分勝手もいいところですからね。そんなことをすれば、自分が嫌いだった昔の上司と同じ過ちをすることになります。どんなに困っても、それだけは絶対に嫌です。 人に動いてもらう前に、まず自分が動けるようにならないと話になりません。再び最初の一歩を踏み出すことくらい自分の力で何とかしなくては、助けを求める資格さえないのです。だから、とにかく今は独りだけで頑張らねばいけないときです。寝ていて人を起こしたら、怒られますからね。 |
| 2006年9月23日 憎まれっ子世に憚る とても寂しいことですが、管理人には友達が少ないです。それも極端に少ないです。現在、管理人が友達だと思っている人も、向こうは管理人のことを友達と思っていないかもしれませんしね。それもこれも管理人の優柔不断でいい加減な性格のためですから、身から出たさびですけどね。 思えば、誰に対しても良い人であろうとしすぎたせいかもしれません。誰からも嫌われたくないから、八方美人で自分の思ったことを素直に言い出せませんでした。友達というのは踏み込んだ意見を遠慮することなく言い合える仲のことであって、当たりさわりのない表面上の付き合いだけでは本当の友達にはなれません。そこが失敗だったんでしょうね。 よく喧嘩するほど仲がいいと言いますもんね。そりゃあ、本音で付き合えば意見が合わないことがあるのは当たり前です。それでも、お互いが相手を認め合っているので、すぐに仲直りできるんでしょう。逆にいえば、喧嘩しても付き合いが途絶えないのが本当の友達関係というものです。相手の顔色をうかがっているようでは、そんな良い関係は築けませんね。 よく考えると、世界中の誰からも好かれる人間なんているはずがないんです。人それぞれ性格も違えば、立場も境遇も考え方も違うのですから、そりの合わない人がいても仕方ありません。だったら、気を使うことなく自分をさらけ出して、それでも付き合ってくれる友達を見つけるべきだったのです。嫌われたなら、その人とは縁がなかったと考えてね。 憎まれっ子世に憚るということわざがあります。人に憎まれるような者が、かえって世間では幅をきかすという意味です。そうなのかもしれません。憎まれるということは、みんなから気にかけてもらえるということですもんね。誰の記憶にも残らないような影の薄い人間よりは、よっぽど人気者といえるでしょう。 自分から憎まれようとする必要はありませんけど、一部の人と仲がよければ別の人からは憎まれるってことはあると思います。あっち立てればこっち立たずっていいますからね。それならば、全員に好かれようとして誰一人深い関係になれないよりは、少しでも本当の友達ができたほうがいいじゃないですか。憎まれたって本人が気にしなければ、問題なしですよ。 今更考え方や行動を変えたところで手遅れでしょうけど、これからはせめて自分の言いたいことはちゃんと言えるようにしようと思います。どうせ友達は少ないんですから、今後出会う多少の人から嫌われたって同じことです。そのほうがストレスもたまらないし、気が楽ですわ。管理人は、憎まれっ子を目指すことにしましょう。 |
| 2006年9月24日 ならぬ堪忍するが堪忍 管理人は、今までずっと自分は我慢強いと思ってきました。言われたことに対して自分の言いたいことも口にせず、文句も言わず、黙々とこなしてきていましたからね。とてもストレスの溜まることだってありましたが、それでも爆発することなく、切れることなく、辛抱してきたつもりでしたから。 でも、それは管理人の勘違いだったようです。最近になって過去の身の振り方を振り返ると、実は我慢強くなんかなかったんだなあと思うようになりました。確かに、ある程度までは我慢しました。だけど、我慢できなくなったとき、自分に言い訳をして、最終的には嫌なことから逃げてしまっていたのです。 管理人は意地っ張りですから、気が張っているときはなにくそと思ってじっと我慢を続けます。しかし、管理人は気分屋でもありますから、気が抜けると我慢もできなくなるようです。短期間ならいざしらず、長期にわたって気を張り続けることは難しいです。だから、管理人の我慢は長続きしないのかもしれません。 ならぬ堪忍するが堪忍ということわざがあります。もうこれ以上は我慢できない、というところを我慢するのが真の我慢強さであるという意味です。ということは、管理人の我慢強さはやっぱり真の我慢強さではないことになります。だって、限界の前に逃げ出すような弱い人間ですからね。 我慢しすぎるのも決して良いことばかりではありませんけどね。我慢して我慢してストレスをいっぱいにして、それでも我慢すればいつか人の心なんて耐え切れなくなって壊れてしまいますから。壊れてしまえば、なかなか元には戻りません。そうなる前に、不満を他人にぶつけて助けを求めるのも間違いではないと思います。 だけど、肝心なところではできるだけ我慢することが大切です。人生には運命の転機ともいえる重大な場面があるものです。そこで我慢しきれずに逃げ出してしまうと、生き方を誤ることになります。その後の人生をずっと後悔しながら生きることになります。管理人がそうだったようにね。ただ管理人の場合は心を壊してしまい、どうしようもなくなったのですが。それでも、後悔は止みません。 今また管理人は我慢しています。壊れてしまった心を元に戻すために、いろんな衝動に耐えています。今度こそ、逃げ出すことはできません。真の我慢強さが必要なのです。ならぬ堪忍するが堪忍ということわざを心にとめて、なんとか耐え抜きたいと思います。いつまで我慢しなくてはならないか予測できないのが辛いですが、いつか治ると信じて我慢を続けるつもりです。 |
| 2006年9月25日 鶏を割くのにいずくんぞ牛刀を用いん 管理人は、小さなことでもとても気にします。例えば、どこかへ出かける予定があったとしましょう。そうすると、何日も前から交通ルートを調べ、天気を気にして、お金も準備して、あれもこれもやっておかないと気が済みません。それどころか、「電車が遅れたらどうしよう」とか「途中でお腹が痛くなったらどうしよう」とか要らぬ心配までしてしまいます。いちいち大げさなんですね。 もともと気が小さいからその傾向はあったのですが、病気になってからますますひどくなってきました。ほんの一時間ほど自転車で近所に出かけるだけでも、何日も前から気になって夜も眠れないほど緊張します。こんなに些細なことで毎日緊張していたら、気が休まるときがなくて体がもちません。 そんな小さなことさえ気にし過ぎる管理人が、新しいことに挑戦できるはずがありません。新しいことを始める希望よりも、失敗したらという不安のほうがべらぼうに大きいので、怖くて怖くて仕方がないのです。だから、ずっと立ち止まって縮こまったままぶるぶる震えて泣いているのが現状です。 でも、それでは辛い現状を変えることなどできません。小さなことばかり気にしていても、何にもならないのです。不安なことを考え出したらキリがありません。すべての不安を解消するまで準備していたとしたら、いつまでたっても新しいことなど始められないでしょう。不安が尽きることはないのですから。 物事なんて、やってみないとわからないと思います。自分がやったことのない新しいことなら、なおさらです。そりゃあ、失敗しないように万全の体制を整えることも大切です。しかし、そのためにちっとも先に進めないのでは意味がありません。ましてや、準備ができないからといって新しいことを諦めてしまうようでは言語道断です。 鶏を割くのにいずくんぞ牛刀を用いんということわざがあります。鶏を料理するのに、どうして牛を料理する大きな包丁などを用いる必要があるのか?小さなことを処理するには大掛かりな方法を用いる必要はないという意味です。牛用の大きな包丁では、余計に鶏を料理しにくいですよね。小さなことをするには、小さな勇気で十分だということです。 始めから全てをフォローできる大きな計画を立てることはありませんね。小さなことの積み重ねが、やがて結果に結びつくのだと思います。全体の失敗ばかり想像して不安ばかり募らせていないで、まずは小さなことから始めてみるべきですね。わかっちゃいるんですよ。でも、心が弱い、弱すぎるんです。もっと勇気が欲しいです。もっと強くならなければ。 |
| 2006年9月26日 測り難きは人心 他人の心を形として見れるといいと思いませんか。そうすれば、相手のことをすぐに理解できると思いますから。相手の考えていることがわからないから顔色をうかがったり、腹の探りあいをしたりという難しい駆け引きが必要になるんです。ひと目で何を考えているかがわかれば、きっと裏表なく交流できると思うんです。 でも、負の感情までわかっちゃうと嫌かもしれませんね。「あの人、わたしのこと嫌っている」というのがわかると、やっぱり傷つきます。そして、出会う人出会う人すべてから嫌われているのがわかったら、とてもいたたまれません。良い交流どころか、人間不信になってしまうでしょうね。 それに、聖人君子のような完璧な人間なら別ですが、普通の人は誰しも知られたくない気持ちも持っていますからね。心の中の何もかもを知られてしまったら、恥ずかしくて、気まずくて、息苦しくてとても生きていけないもののような気がします。隠されているから、ちょうどいいのかもしれませんね。 測り難きは人心ということわざがあります。人の心ほどわからないものはないという意味です。うん、他人の考えていることは複雑でよくわかりませんよね。目に見えないものですから。わかろうと努力はしますが、完全にわかりあえることなど不可能でしょう。それは仕方のないことです。上に書いたように、わからないから良いということもありますしね。 管理人なんて、自分の心さえよくわかりません。なぜ楽しいことをしたいはずなのに辛いと感じてしまうのか?なぜ独りきりは寂しいのに自ら人を避けようとするのか?なぜ生きていきたいと思う一方で死にたいと考えるのか?管理人の心の中は矛盾だらけです。いつも葛藤が続いています。 結局、人の心というのはそれほど難しいものなんですね。心は常にひとつではなく、絶えず移り変わっているんです。明るいときもあれば暗いときもある、楽しいときもあれば悲しいときもある、調子の良いときもあれば悪いときもある、そんなものです。だから、そんなにあてにならない、あてにしてもしようがないのです。 人の気持ちを理解しようとするのは大切なことだと思います。だけど、必要以上に気にし過ぎたり、深読みしてもどうにもなりません。しょせん、人の気持ちは複雑怪奇で移り気ですから。それなら、他人をどうこうしようと考えるのではなく、自分の気持ちを素直に表わすのが一番だと思います。自然体であるべきですよね。まあ、それができていればこんなにひねくれた性格にはなっていないのですけどね。本当に難しいものです。 |
| 2006年9月27日 日陰の豆も時が来ればはぜる 数年前まで管理人は、表面的には日の当たる場所を歩いてきました。希望の高校へ進学して、それほど苦労せず大学へ進んで、良い会社に就職して、さしたる挫折もなく、まさに順風満帆の人生だったように思います。他人から見れば、きっと良く見えたことでしょう。そう、表面的にはね。 無理をしてきました。ずっと走り続けてきました。表面的には表舞台で何の悩みもなく、活躍してきたように見えたかもしれません。だけど、そんな活躍とは裏腹に心の中はいつも闇の中でした。日が差すことは、ほとんどありませんでした。人付き合いがうまくできない管理人は、いつも孤独を感じて寂しくて仕方なかったのです。それでも自分をごまかして、なんとかしのいできていたのです。 無理だったのです。そんな心の闇をかかえたまま走り続けることは、無理だったのです。日陰の中をずっと進んできた心はいつしか疲れ果て、ある日を境にもはや一歩も進むことができなくなりました。緊張の糸が切れ、崩れ始めるとあっけないもので、それまでいた日の当たる場所から一瞬にして転落しました。 そして今、管理人は身も心もどっぷり日陰の中に埋もれています。いや、もともとずっと前から日陰の中にいたのです。それまでは、表面的にはわからないように取り繕っていただけのことです。それでも、一所懸命頑張って何とか心も日の当たる場所に出ようともがいてきました。でも、しょせんはできない相談だったようです。 日陰の豆も時が来ればはぜるということわざがあります。日の当たらないところで育った豆でも、日数が経って適当な時期が来ると自然にさやが割れてはじけ出ることから、人間も同様に、一定の年齢が来れば成長の遅れていた者もそれぞれ一人前になるという意味です。本当にそうだとどんなに良いことでしょうね。 まだまだ管理人は、精神的に成長していなかったのでしょうか。それなのに無理をしたから失敗したのでしょうか。そうなのかもしれません。どれだけ成長が遅いんだって話ですが、もし時間が解決してくれるというのなら、管理人にもまだ希望はあるということですね。そうであって欲しいなあ。 しかし、管理人もそれほど若くはありません。残された時間も限られているでしょう。早く成長して一人前になりたいものです。もう日陰の中で育つのは、いい加減うんざりですから。あまりひどい環境に長くあっては豆だってはぜることなく、枯れてしまうでしょう。枯れる前に、なんとかはじけて飛び出したいですね。管理人の本当の人生はこれからだと思いたいです。 |
| 2006年9月28日 歯亡びて舌存す 管理人の頭は、とてもとても堅いです。いいかえれば、頑固者ともいいます。一度これと決めたものは、何が何でも通そうとします。というか、それ以外の考えは浮かびません。それに、常に自分の中の常識の範囲内でしか物事の判断ができず、自由な発想というものは皆無です。 だから、ハプニングやトラブルには、なかなかうまく対応できません。自分の想定外の出来事にはすぐにパニックに陥ってしまい、おろおろするばかりです。何とかしようと考えれば考えるほど頭の中は真っ白になり、何もできないまま時間が過ぎていきます。終いには、「どうにもならん!」なんて逆ギレしたりしてね。 そして、打たれ弱いです。型にはまった答えのあるものに対してはどうにかできますけれど、自分の好きにしていいといわれると困ってしまいます。基礎はできても、応用が効かないという奴ですね。心のガードが甘くて弱点だらけで、「何でも来い」なんて態度はとても無理です。弱点をつかれれば、すぐにノックアウトですよ。 歯亡びて舌存すということわざがあります。固い歯は先に抜けるが柔らかい舌はいつまでも残ることから、堅いものは先になくなり、柔らかいものが長く残るという意味です。年をとって歯がなくなっても、舌がなくなることはないですもんね。世の中もそれと同じで、頭の柔らかい者が生き残るということですね。 実に的を射たことわざだと思います。生きる道は一本道だと信じていた管理人が、いざその道から外れてしまうとどうしていいかわからなくなってしまいました。頭の堅い管理人は、次の道を見つけることができずに、未だ彷徨っています。常識で凝り固まった頭では見えないだけで、想像力を拡げれば道はたくさんあるはずなのにね。 臨機応変、これが大切でしょう。他人の考えの受け売りだけではなく、思いがけない事態においては自分で考え、答えを出さなくてはいけません。いつもマニュアルがあるとは限らないのですから。それでなくとも最近の世の中は移り変わるのが早く、対応を誤ればおいてけぼりをくいますからね。 そのためには、頭を柔らかくしておかなくてはね。堅い頭では、柔軟な対応は難しいのです。そうなれば、今の世の中生き残っていけませんよ。管理人も、いいかげん頭を切り替えなくてはダメですね。年をとればとるほど頭は堅くなっていくものですから、今のうちになんとかしたいです。とりあえず、生き残る術を見つけないと先はありません。まずいです。 |
| 2006年9月29日 始めあるものは終わりあり 小学生の頃は、毎日が楽しかったなあ。来る日も来る日も好きなだけ遊んで、悩みなんてまったくなかったもんなあ。あっという間に終わっちゃったけどね。中学生の頃も楽しかったなあ。自分の思い通りに行動して、遊びでも部活でも全力投球で活躍できたもんなあ(勉強はしなかったけど)。その時期もやっぱりあっという間に過ぎていっちゃったけどね。 高校生の頃からか、少しずつ苦しいことが、辛いことが増えてきたように思います。何も考えなくとも楽しかった時期は終わり、いっちょまえにいろんなことに悩むようになりました。それだけ成長したということだけど、現実を知れば知るほど楽しいことが減ったのも事実でしたね。いつまでも、何でも楽しい子供のままでいたかったです。 それでも高校、大学は何とか乗り越えることができました。期間が決まっていたので、終わりが見えていたので頑張り続けることができましたから。責任もなかったしね。しかし、会社員となって働き始めると、さらに辛い現実が待っていました。人間関係に悩み、プレッシャーに苦しめられ、責任が重くのしかかる毎日、とても嫌で嫌で仕方がありませんでした。 入社した当時はまだ夢も希望もあったから、一所懸命働きましたよ。だけど、何年経っても一向に良くならない環境に日に日に楽しいことはなくなっていき、心は追い詰められていったのです。いくら頑張っても終わりが見えない生活についに精神が耐えられなくなり、心は壊れ、あえなくリタイヤとあいなってしまいました。 これにて、不本意ながらも会社生活にピリオドが打たれ、苦しみから解放されると思いました。しかし、そうではなく、新たな苦しみの始まりでしかなかったのです。壊れた心は未だ元に戻らず、何事にも興味が持てない楽しみなどまるでない日々。今度ばかりはいつ苦しみから解放されるかまったく予測が立たず、希望がまるで見えないでいます。 始めあるものは終わりありということわざがあります。物事には必ず始めと終わりがあり、永久にそのまま続くことはないという意味です。小学校、中学校と楽しい時期は終わり、高校、大学と辛いながらもしのいだ時期も終わり、会社員も無理矢理終わらせました。確かに、楽しいことも苦しいことも始まれば、終わるときがきました。それなら、お先真っ暗な現状も終わるときがくるのでしょうか。 人って、楽しいことにせよ苦しいことにせよ、終わりが見えるから頑張れるんだと思います。楽しいときは、終わりのときまでに楽しみ尽くそうと頑張れるのだし、苦しいときは、終わりが近づいて開放されるのがわかるから頑張れるんです。終わりが見えないのは、本当に辛いです。とにかく今は、終わりが見えるときが待ち遠しいです。どん底の日々の終わるときがね。ことわざどおりなら、永久に続くことはないはずなのですから。 |
| 2006年9月30日 花は折りたし梢は高し 昔の管理人の望みは、お金持ちになって、暖かい家族と仲のよい友人に囲まれて幸せに暮らすことでした。だけど、どうもそれは無理だったようです。管理人には、幸せになる資格も才能もなかったみたいだから。どうやら高望みをしすぎたようです。現実は残酷で、厳しいものですね。 今の管理人の望みは、普通に暮らせることです。お金は生活できるだけあればいいし、暖かい家族を築くこともたくさんの友人を作ることも望みません。ただ、普通に外出できて、誰とでも普通に会話できるだけの気力と体力があればそれで十分です。そして、少しぐらいは楽しいことが見つかればいいかな。 しかし、今の管理人にはその程度の望みさえ叶いそうにありません。望みを叶えるためには、とても高いハードルが控えています。まずは、このひねくれてねじまがった性格が問題ですし、病気がちっとも良くならないことも問題です。これらを何とかしないことには、望みを叶えるなど無理な話ですね。 花は折りたし梢は高しということわざがあります。花が咲いている枝を折ってきたいけれど、その梢はあまりにも高いところにあることから、望みはあってもそれを達成する方法がないという意味です。今の管理人の心境を表わしているようです。頭上の見えるところに欲しい花が咲いているにもかかわらず、手が届かない歯がゆい状況です。 でも、望みを諦めてしまっては、本当に叶いません。何もしないで眺めていても、状況は何一つ変わりはしませんよね。手が届かないのならば、ジャンプするなり、はしごを持ってくるなり、取ろうとする努力をすればいいはずです。見えているのだから、何とかしようとする気持ちがあれば何とかなると考えるべきです。 だから、管理人も望みを捨てるつもりはありません。高望みはダメだったけど、今のレベルを落とした望みなら、どうにかなるはずですから。というか、どうにかしたいです。しなくちゃいけないんです。この程度の望みも叶わないようなら、もはや生きていくことに何の希望も見出せません。 焦ることはありません。管理人には、まだ時間がたっぷり残されているのですから(そう考えてから既に数年も経過してますけどね)。まずは元気を取り戻すこと、これが最優先です。それから、いろんな方法を試してみようと思います。高嶺の花にも、いつかきっと手が届くと信じてね。 |
| 2006年10月1日 汝自身を知れ 管理人は、自分が嫌いです。本当に大嫌いです。だって、悪いところだらけなんだもん。この世の中で何が信じられないかっていえば、一番信じられないのは自分自身というくらいです。もし身の回りにこんな人間がいたなら、自分なら絶対友達になろうと思わないでしょう。うっとうしいからね。 まず、容姿が悪いです。顔が醜いのは言うに及ばず、半端じゃないくらいデブです。ぶくぶく太ってます。三段腹を見るたびに悲しくなります。デブだから、一年中常に汗をかいていて臭いし、みっともないし。そういえば、最近髪の毛も薄くなってきたなあ。デブでハゲなんて最悪ですよ。 次に、頭が悪いです。幸いにして暗記力だけは良かったのでテストには困りませんでしたが、社会で一体それが何になるというの?頭の回転が遅いから、反応が鈍く、気の利いた会話もできません。創造力なんて期待するほうが無理ってもので、微塵もありませんわな。応用の効かない管理人にできるのは、同じことを繰り返す単純作業くらいです。 さらに、性格が悪いです。自分では何にもしないくせに、人をうらやむことだけは達者です。小心者で臆病なくせに、欲だけは人並み以上にあります。自分が優しくないのに、人には優しさを期待します。まったく、典型的な小物です。ザコです。痛い人です。もう、どうしようもないくらいに。 汝自身を知れということわざがあります。言葉通り、自分自身についてよく知るべきであるという意味で、自分のことを忘れるな、分際をわきまえよ、思慮深くあれということです。大事なことだと思います。身のほどを知らない立ち居振る舞いほど、滑稽で愚かなことはないのですからね。 だけど、管理人の場合、自分を知れば知るほど落ち込んでしまいます。冷静になって考えると、欠点ばかりが浮上してきます。知らなきゃよかったと後悔したりします。分際をわきまえるとしたら、管理人なんて他人に迷惑をかけないようにひっそりと暮らせということになりますね。本当、生きていてすいませんて感じですか。 そんな管理人でも、どうにかして生きていかなくてはいけません。たとえ自分自身が嫌いでも、自分を見限って捨てることはできませんからね。それなら、何でもいいから自分の良いところを探して、少しでも自分を好きになるしかないでしょう。活路はそこしかないのです。もっともっと自分を分析してみようと思います。万が一にも良いところがあるかもしれませんので。 |
| 2006年10月2日 早い者に上手なし 管理人は、自慢じゃないですが、何をするのも早かったんです。今はこんなですけどね。学生時代の試験勉強だって覚えるのだけは早かったですから、一夜漬けで十分間に合ったし、仕事だって指示されたことはすぐにこなしていました。なぜかといえば、自分の自由な時間を潰されるのが嫌だったという、自分勝手な発想でしたが。 でも、早いということはやっぱりどこかに手を抜いているんですね。試験勉強でも、試験は何とかなりましたけど、その後ちゃんと身についていたかといえば全然そんなことはありませんでした。仕事でも、早いのは悪いことではありませんでしたが、後で考えると練りこみが足りず、可もなく不可もなくといった出来でした。 早い者に上手なしということわざがあります。仕事が早くできる者は、あまり上手でないのが欠点であるという意味です。そうなんですよ。良い仕事というのは、時間がかかるものなんです。慌てて、急いで、焦って仕事をして早くできたところで、しょせんはそれなりのものしかできません。 達人といわれる人達は、何年、何十年もその道一筋に仕事をしてきたからこそ、その域にまで達することができたのだと思います。早ければいいってものではないのです。それが一日や二日で到達できるようなことであれば、世の中達人だらけのはずですが、そんなことはありませんもんね。 ほとんどの製品が機械化で量産できる今でも、本当に良い物は達人の手作りが基本ですしね。海外高級ブランドの腕時計や衣料品などは職人の業が活かされていますし、日本でも一流の陶芸品などは達人にしかできません。絵画だってコンピュータグラフィックのほうが優れていそうなものですが、時間がかかろうとも手書きのほうが表現力や深みという点では評価が高いですよね。 人生でも同じかもしれません。管理人のこれまでの人生で一番良かった時期は、中学生の頃だったように思います。こんな早くに人生のピークを迎えたもんだから、今は真っ逆さまに落ちるだけです。死ぬ前に人生のピークを迎えるのが上手な生き方でしょう。管理人は、生き急ぎ過ぎです。ああ、なんて下手な人生でしょう。 だからといって、取り返しがつかないわけではありません。早くやり過ぎた仕事も、もう一度見直して手を加えれば良くなります。人生だって、もう一度ピークを迎えればよいだけのことです。今度はもう急ぐことはないんですしね。ゆっくりと満足いくまで時間をかけて、仕上げたいと思います。なんて、空元気を出してみたりする。現実は厳しいですけどね。 |
| 2006年10月3日 盗人にも三分の理 何もせず、何もできない、今やすっかりダメ人間の管理人ですが、これでも数年前まではいっぱしの会社員だったのです。それが、どうしても働き続けることができなくなって、会社をリタイヤする他なくなりました。遠い昔の出来事のようですけど、まだ心には深い傷として残っています。 盗人にも三分の理ということわざがあります。盗人にも、盗みを正当化する少しの理屈はあるものであるということから、どんなことでも理屈は何とかつけられるという意味です。自分が悪いのは重々承知の上ですが、管理人が会社を辞めざるをえなかったのも一応の理由はあるのです。 まず、理想が高すぎたのです。会社には、夢を持って入社しました。自分のやりたいことを仕事にして、やりがいのある充実した毎日を送ることです。ところが、実際に配属されたのは自分のやりたいこととは無縁の職場でした。それでも何とかやりがいを見つけようと頑張りましたけど、ダメでした。いつしか、理想と現実のギャップに嫌気が差し、希望は絶望に変わり、人生の大半をその仕事に費やすことがとても空しく感じるようになったのです。 次に、融通が利かないことです。お金をもらっている仕事なんだから、きれいだけでは済まされないこともあります。上司の理不尽な命令に従わなくてはならないこともあります。頭ではわかってはいました。でも、そんな仕事をこなすたびに罪悪感が心を占めていきました。融通が利かないからうまく割り切ることができず、仕事が苦痛で、自分が嫌で仕方なくなったのです。 そして、一番大きな理由は人付き合いが下手だったことです。職場には同年代の人間がおらず、上司かあるいはかなり年上か年下の人だけでした。上司は嫌いでした。年配の人とはうまく話せませんでした。年下の人には立場上、弱みを見せるわけにはいきませんでした。だから、どんなに仕事で悩んでも相談相手はおらず、どんなに仕事で困っても助けを求める相手はいなかったのです。独りで全てを抱え込んで、やがて耐え切れなくなってパンクしました。 しょせん、言い訳に過ぎないことはわかっています。でもね、全部が全部管理人が悪いのかって思うときもあるのです。もう少し職場に恵まれて、自分にあった仕事ができて、心許せる仲間がいたら、また違っていたような気もするのです。まあ、結果的に失敗したのだから、やっぱり弱い自分が悪いんでしょうけどね。 あ〜あ、なんでみんなが普通にできる当たり前の仕事が、管理人にはできないんでしょうね。嫌になっちゃいます。結局、生まれついての欠陥人間には、誰もが無意識にできる社会生活を送ることさえ無理だったのかなあ。どんなに理屈をつけたって、意味のないことです。もう取り返しはつかないのですから。だから、せめて今後の人生は管理人にもできる仕事を見つけたい、切にそう願います。そんな仕事があればの話ですが・・・。 |
| 2006年10月4日 天を怨みず人を尤めず 今日は、わたしの醜い心を吐露します。激しい感情は失ったわたしですが、以下に書くこの部分だけは、忘れようにも忘れられません。深く残った傷であり、未だにわたしを苦しめる現実でもあるから。それは数年前の出来事、わたしがまだ会社員だった頃の苦い経験と辛い思い出です。 病気を発症して、会社を休職せざるをえなくなったとき、わたしは人事部に何とか配置転換させてもらえないかと相談しました。答えはNO。休職後は元の部署に戻るのが原則の一点張り。「病気の奴を引き受ける部署などない」との冷たい対応。病気の原因がその部署での仕事にあったことなど考慮もしてくれませんでした。結局、人一人の人生より会社の都合のほうが重要視されたのです。まあ、当たり前といえば当たり前ですが。それでも、せめて苦しい気持ちを察して欲しかったです。 病気で休職してとても苦しくて悩みぬいていたとき、わらにもすがる一心で上司に助けを求めました。仕事を何とか変えてもらえないかと。そうしたとき、対応した三人の上司はバカにしたような薄ら笑いを浮かべながら侮辱の言葉をぶつけ、「辞めるしかない」と言い放ったのです。ものすごいショックでした。わたしは見捨てられたのです。最後に笑いながら「元気でな」と言って握手を求めてきた顔を、一生忘れることはできないでしょう。 そして、休職期間がなくなり、ついに会社を辞めることとなったとき。直属の上司は顔さえ見せることはなく、その後も労いの言葉一つありませんでした。仮にも10年近く一緒に働いてきた部下に対して。さらに、休職期間中・退職後も仕事仲間の誰一人として連絡をくれることはなかったのです。結局、わたしはいてもいなくても何の支障もない人間に過ぎなかったのだと思い知らされました。 天を怨みず人を尤めずということわざがあります。どんな苦しみに陥っても世に認められなくとも、運命を怨まず、社会や他人をとがめず、ただ安らかにわが身を修め心を養うべきであるという意味です。わたしは、そんなできた人間ではありません。とてもそんな境地に達することはできません。 わたしは怨みます。会社を怨みます。上司を怨みます。仕事仲間を怨みます。運命を怨みます。そして何より、そんな会社を選び、必要とされる人間になれず、脆弱な人間関係しか築けなかった自分自身を怨みます。たとえそれが逆恨みでしかないとしても、そう考えなくてはやりきれません。 怨んでも仕方のないことだとはわかっています。忘れなくてはいけないことだというのもわかっています。それでも、苦しい気持ちはどうしようもできないのです。一体、わたしの10年近い勤務はなんだったのでしょう。これでも自分なりに一所懸命働いてきたつもりなのに、この仕打ちですか。もう過去のことだと割り切るには、あまりにも大きなダメージです。こんなわたしに、生きる気力が戻るときが来るのだろうか。そもそも生きる価値があるのかどうかさえわからない。 |
| 2006年10月5日 病は気から うすうすわかっているとは思いますが、ぶっちゃけて書きますとわたしはうつ病です。数年前のあるときから会社で働くことがとても憂鬱になり、ついに耐え切れなくなったのです。みっともないことに、大の大人が会社に行く時間になると涙を流すほど心が壊れてしまいました。それで、わたしは会社を辞めました。 うつ病の厄介なところは、常に言い知れぬ不安が付きまとい、些細なことにも緊張して心休まるときがないことです。また、自分に自信が持てなくなります。「自分にはなんの価値もない」と考えるようになり、さらには「自分がいることでみんなに迷惑をかけている」と思い込んでしまうようになります。気持ちは落ち込み続け、どんどん深みにはまっていくのです。 さらに、やる気が根こそぎ奪われてしまいます。何に対しても興味を失い、無気力になります。楽しいことも楽しいと感じられず、楽しかったことさえ思い出せず、毎日を呆然と過ごすしかできません。何もできない自分に嫌気が差しますけど、どうしようもないのです。そして、心はさらに弱くなっていきます。希望など考えられるはずもありません。 もっとも困るのが、希死念慮が起こることです。「こんな自分なんかいないほうがましだ」、「全てを終わりにしたい」、という気持ちが強くなり、死にたくなるのです。どんなことをしていても、頭の片隅にはいつもこの気持ちがあります。死んではいけないことはわかっているのですが、生きる意味さえわからないのですから払拭することはできません。怖いのは、その衝動に負けそうになるときです。 病は気からとよく言います。病気は心の持ち方次第で起こり、良くもなり悪くもなるということです。健康な人は、「うつ病なんて気持ちの問題だ」、「気合が足りないからそんな病気になるんだ」と思うことでしょう。ともすれば、「怠けたいだけなんじゃないか」という偏見の目で見る人さえいます。 だけど、そうじゃないんです。本人だって病気になりたくてなったわけじゃないし、治したい気持ちは人一倍あるんです。誰が好き好んで、こんな辛い日々を送りたいと思いますか。どうにかできるものなら、とっくにやっています。常に心の中で葛藤しているのです。健康な人には、この気持ちをわかってもらえないでしょうけどね。 うつ病になってから、もう数年が経過します。家族の助けと薬に頼って、まだ何とか生きています。うつ病は治る病気だと言われていますが、数年経っても治らないわたしには気休めでしかありません。本当に治る日がやってきて、元通りの楽しい生活が送れるようになるのでしょうか。答えは、未だ暗闇の中です。 |
| 2006年10月6日 馬鹿につける薬はない わたしは病気になった数年前から、欠かさず薬を服用してきました。今何とか生きていられるのも、薬のおかげといえるかもしれません。薬がなかったら、とても乗り切れなかったと思えますから。薬は症状によりその都度変わってきましたが、今飲んでいるのはアモキサンとレキソタンという精神安定剤と抗うつ剤です。 これらの薬は、緊張を和らげる効果と不安を抑える効果があります。常に緊張して不安をかかえるわたしには、なくてはならない薬です。だけど、この薬には副作用があります。考えすぎるのを抑制するから思考力を低下させ、判断力が鈍くなるのです。だから、注意書きにも車の運転はなるべく控えるようにと書かれています。実際、わたしはなんでもないところで車をぶつけましたしね。 思考力と判断力がなくなるのは、新しいことに挑戦するのに致命的です。気持ちは落ち着くから精神的には良いのですが、仕事にはマイナスなのです。なんせ、勉強してもちっとも頭に入らず、何事も決断できないのですから。従って、わたしは薬を絶つことを決意したのです。決して自暴自棄になったわけではなく、仕事をするための前向きな考えゆえです。未来永劫いつまでも、薬に頼っているわけにもいきませんしね。 1ヶ月位前から、薬の量をピーク時の1/4程度まで減らしました。ところが、これがとても辛い症状に悩まされることになったのです。なんせ数年間飲み続けた薬を失くすわけです。今まで薬で抑えられてきた感情が一気に噴出するんです。また、薬には常習性があるようで、薬を止めると反作用が起き、様々な症状が出るんです。 薬を減らしてから1週間はとてもひどいものでした。頭痛、微熱、悪寒、歯が浮く、めまい、などの身体的な症状が起きて、とても辛かったです。幸い現在はだいぶ落ち着いてきましたが、それでも常に耳鳴りがして目が回り、体中がかゆくてしようがありません。まだまだ、時間がかかりそうです。 身体的なことより、精神的なことのほうが辛いです。夜はほとんど熟睡できず、朝など緊張のため、クーラーをガンガンにかけておいても、4〜5時には大汗をかいて目が覚めてしまいます。日中も神経過敏の状態で、少しの出来事でも緊張して汗が止まらず、何かしようとすれば不安で手が震える始末です。こんな状態だから、最近の日記はとても情緒不安定で、とても悲観的です。 こんな日記では夢も希望もなく、面白みがまったくありません。読んでも気分が悪くなります。書いている本人も重荷でしかありません。だから、元気になるまで日記を休むことにしました。2年以上も毎日続けてきた日記をこんな形で止めるのは、非常に残念ですが仕方ありません。今は、まず心と体の健康を取り戻すことに専念したいと思います。いつになるかわかりませんが、もし元気になったら、また再開できるかもしれません。それまで、さようなら。長い間ありがとうございました。 |