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2006年7月の日記
2006年7月1日 癖ある馬に能あり

 この日記で何度も書いているように、管理人は人付き合いが苦手です。口下手で、口数が少なく、舌足らずな管理人には、どうしてもスムーズな会話ができないのです。また、シャイな管理人は人見知りも激しいですしね。付き合うほうの相手にしてみても、「面白みのない奴だ」と思われていることでしょう。

 だけどその分、独りでいることは苦になりません。むしろ、独りでいたほうが気楽なくらいです。なんせ、インドア派のプチヒッキー気味ですから。これが多くの人とワイワイやるのが好きなアウトドア派の人達なら、家にひきこもって独りでいるなんてことは、大変な苦痛に違いないでしょう。

 アフィリエイトという仕事は、基本的には独りで作業する仕事です。パソコンの前に座り続けて、一日中でも作業に没頭できなくてはなりません。そういう意味において、管理人の人付き合いが苦手という悪癖も、ことアフィリエイトにおいてはプラスに働いているわけです。寂しいなんて感情はほとんど持ち合わせておりませんので。

 癖ある馬に能ありということわざがあります。一癖ある人は、また一面では、何らかの取り柄があるものであるという意味です。管理人の場合、会社勤めには向かない性格かもしれませんが、アフィリエイトのような自分の力だけで切り開く仕事にはもってこいの性格だといえます。まあ、それしか取り柄がないといえば、それまでですが。

 要は、自分の癖を活かすことを考えれば良いということですね。一癖あるからといって、悪いほうへばかり考えて、悲観的になることはないわけです。凝り性の人は職人的な仕事に向いているだろうし、几帳面な人は事務的な職業にぴったりだし、話好きな人は営業的な働きが苦にならないということです。

 よく天才と呼ばれる芸術家や小説家などは、性格的にかなり変わり者が多いという話を聞くではありませんか。もし、そういう職業についていなければ、社会に適応できなかったかもしれない人達でしょう。それでも、取り柄を活かすことで、名声を得ることができたのです。そんな例もあるわけですよ。

 癖がない人間などいないはずです。自分の一癖をポジティブにとらえて、取り柄と考えましょう。生活に取り柄を活かせれば、自分らしく生きられるから最高ですよね。何でも無難にこなすのは良いことである反面、没個性的であり、ひとつの道で大成することは難しいように思います。まあ、そのほうが世渡り上手なんでしょうけどね。管理人にはできなかったことです。

2006年7月2日 管の穴から天を覗く

 大儲けしているサイトを見て、「うわっ、アフィリエイトってこんなに儲かるんだ」と思い、アフィリエイトを始めた人も少なくないと思います。実は、管理人もその口ですから。月収100万円以上なんて、会社勤めの人間には夢のような金額ですもんね。そりゃあ、やりたくなるのも不思議ではありません。

 でもって、サイトを運営するだけで、実に簡単そうに儲かるような勘違いをしてしまうんです。「これならわたしにもできそうだ」なんてね。ところが、実際やってみると大半の人達は儲からないんです。だってそうでしょう。アフィリエイトで儲かっているのは、アフィリエイター全体の1割未満であり、月収数十万円以上となればさらに少ないというデータが出ているのですから。

 ここで、誰もが陥ってしまう過ちは、簡単そうだと思い込んでしまうことです。まだ、アフィリエイトのことを何も知らない段階から、そう決め込んでしまうことです。本当に大儲けしているサイトの偉大さを知らないんですね。どれだけすごいことをしているのか、理解できていないんです。

 管の穴から天を覗くということわざがあります。管の穴から天を覗くように、狭い見識で広大な物事を見ても真相はわからないということです。まさに、このことわざどおり、初心者アフィリエイターが大儲けしているサイトを見てもそのすごさがわからないのは、管の穴から天を覗いているようなものです。

 アフィリエイトに対する見識を拡げてみましょう。そうすれば、儲かっていない自分のサイトと大儲けしているサイトとの違いがはっきりとわかってくるはずです。簡単そうに見えるサイトも、影ではとてつもなく努力していることがわかってくるはずです。そう、儲かっているサイトは儲かるべくして儲かっている理屈がわかってくるはずです。

 管理人が思うに、アフィリエイトという仕事はとても奥が深いものです。サイト作成の知識はもちろんのこと、アクセスアップの方法も、商品に対する幅広い情報も、お客さんの心をとらえる表現力も、他にもまだまだたくさんの見識が必要です。しかも、それらを合わせて応用する能力もなければなりません。簡単ではないんですよ。

 だから、アフィリエイトで成功したいと考えるなら、とにかく見識を拡げる努力をしましょう。様々なジャンルに精通しましょう。そうすれば、いつかアフィリエイトの儲かる真相もわかるようになるかもしれません。管の穴から覗くなんてちゃちなまねしないで、望遠鏡で天を覗いてみれば、空いっぱいの景色も見えるはずですよ。

2006年7月3日 食らえどもその味わいを知らず

 どうも最近、注意力散漫で困ります。文章を書いていても、あらかじめ頭の中で描いてた筋書きを途中で思い出せなくなったり、今の今まで何をしようとしていたのか急に忘れるといったことがたびたびあります。これも、何かしている時にも、他のことに気をとられているからでしょう。もっとも、ボケが始まったという可能性も否定できませんが。

 だから、アフィリエイトに関しても、とても集中力を維持できません。新しいコンテンツを考えることはおろか、広告の貼り替えや情報収集などにも力が入らず、放置している状態です。ましてや、新しいアフィリエイトプログラムを探すなど、やる気力さえ起こりません。なんだかんだで、時間がないように感じて、気ばかりが急いてしまっています。

 食らえどもその味わいを知らずということわざがあります。何事も精神を集中して実行しないと、何も身につかないたとえです。心が他のことに奪われているときは、何を食べてもその味がわからないことからきたことわざです。本当にその通りですね。今の管理人では、何を食べてもその味はわからないでしょう。

 サイトを運営する上で、集中力は大切です。集中力がないときは、何をやっても中途半端になってしまう傾向にあります。何かをやり始めても途中で嫌になってしまったり、やらなければいけないこともついつい忘れてしまいがちです。それに、いろんな情報を見ることはしても、実は頭に入っていなかったりします。

 さらには、集中できないと、作業に余計な時間がかかってしまいます。何をするにしても雑念が頭をよぎり、うまくまとまめることができません。さらには、他のことが気になっているから焦りが生じ、さらに集中力がなくなります。こうなると、完全に悪循環です。やってもやっても作業は終わらず、出来たと思えば内容もひどいできだったりします。

 そんなことが続けば、サイトの運営もままなりません。現在、管理人が陥っている状態がまさにそれです。この状況を打開するためには、素早い頭の切り替えが必要です。長時間集中力が維持できないのなら、短い時間だけでも作業に集中するように、時間を区切って、その間は他のことを考えないようにするのです。つまり、やるときはやる、抜くときは抜くというメリハリをつけることです。

 人間にはバイオリズムがあり、バリバリ仕事が出来るときもあれば、ちっとも能率が上がらないときもあります。全ての時間を集中できればそれに越したことはありませんが、そんなことはできるはずもなく、できても疲れきってしまうでしょう。それなら、集中できないときはできないなりに、休憩を取りながらのんびりやれば良いと思います。いつか調子も上がってくるはず?ですよ。

2006年7月4日 暗闇の鉄砲

 サイトを作る上で大切なことは、目標を明確に持って行うことだと思います。ただひたすら一所懸命にやることもいいですが、目標に向かって舵取りをしなければサイトは迷走するでしょう。一度行き先を見失うと、後から修正するのは大変です。例えるなら、だだっ広い海にぽつんと浮かんだ小船のようなものです。

 アフィリエイトサイトの目標のひとつとして、お客さんを増やすということがあります。お客さんのターゲットを絞るというのも、そのための方法です。そりゃあ、誰にでも受け入れられるという内容が一番ですが、それではなかなか自分のサイトを特色化できないです。アフィリエイトプログラムのジャンルを問わず、なんでもかんでも紹介すれば良いってものではないのです。それでは、ひとつひとつの記事の重みがなくなってしまいますから。

 だから、ある程度専門的なサイトとするほうが、より成功しやすいはずです。得意のジャンルなら記事だって書きやすく、より内容の濃い紹介ができます。お客さんは限られてきますが、明確な意思でもってサイトを訪れてくれますから、購入率も高くなります。商店街のウィンドウショッピングではお客さんは商品を眺めるだけが多いですが、専門店には買うために訪れる、それと一緒です。

 ブログにしてもそうです。頻繁に更新することは、良いことです。ただ、ブログの記事全体を通して、意思を統一して書かなければいけません。更新を増やすために記事を乱発して、毎回記事の内容が食い違っているようでは信用を失います。ブログの目標は読者を増やすこと、、そのためには読者のためになる有益な情報を配信することが必要だと思いますので、水増しすればいいってものではありません。

 暗闇の鉄砲ということわざがあります。暗闇で目標も定まらぬまま鉄砲を撃つように、向こう見ずに、闇雲にことを行うという意味です。何も考えず、突っ走ることも時には必要ですが、いつまでもその繰り返しでは自分の位置さえわからなくなってしまうでしょう。それでは、いつまでたっても目標に辿り着けません。

 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるということわざもありますけど、目標を定めずにやたらめったら撃ちまくったって弾の無駄遣いです。やっぱり、狙って撃ってこそ当たる確率も上がるのです。アフィリエイトの記事を書くことだって労力がいるのですから、見当外れな記事で無駄な労力を使うより、狙いすました記事に全力を費やすべきです。

 管理人も、目標を定めずに、闇雲に活動してきて失敗しました。せっかく時間をかけて作成したサイトも、うまくいきませんでした。今度は、ちゃんと反省を活かし、目標を持ったサイト作りをしたいと考えています。限りある自由時間と労力ですから、効率よく使うようにしたいですもんね。

2006年7月5日 経験は馬鹿をも賢くする

 管理人も既に30代後半、人生の折り返し地点は通過したといったところでしょうか。これだけ生きてくれば、大なり小なりいろんな経験をしてきました。人生山あり谷あり、良い経験もあれば悪い経験もありました。中には、これまでの、そしてこれからの人生設計を大きく覆すような苦い経験も体験しています。

 経験を積み重ねることで、人間的に成長できたかどうかはわかりません。だけど、経験のたびに多くの知恵がついてきたことは確かです。行動を起こす際は慎重に物事を考えるようになってきたし、なんでもかんでも信じるのではなく、疑うことの重要さも知りました。それだけでも、大きな成果です。

 経験は馬鹿をも賢くするということわざがありますが、本当にその通りですね。経験というのは、貴重なものです。管理人のような愚か者でも、経験を積むことで多少なりとも賢くなったように思います。もっとも、管理人の場合は賢くなったというよりも、ずる賢くなったというべきかもしれませんが。

 ロールプレイングゲームの主人公でも、経験すればレベルアップしますもんね。レベルアップすれば、賢くなったり、強くなったりするじゃないですか。人間だって、同じことですよ。生きてさえいれば、早い遅いはあっても、経験値は貯まっていき、いつかレベルアップするはずです。良くも悪くもね。

 アフィリエイトでも、経験がものをいうところが往々にしてあります。管理人は、これでも約2年の間、アフィリエイトサイトを運営してきました。その間にいろいろな経験をしてきたから、未熟なりにアフィリエイトのメリット・デメリットもわかってきたし、様々なテクニックも身についてきました。トラブルの対処法も否応なしに覚えました。経験しなければ、得られなかった知識がたくさんあるのです。

 ブログだって、書き続けてきたからこそ、文章を書くことの難しさも、更新の大変さも理解できたのです。そして、読んでくださる方からの励ましの言葉の嬉しさも。もし、ブログを書いていなかったら、それらを理解することもなかったでしょう。正直甘くみていた始めたばかりの頃のようにね。

 もし失敗することがあったとしても、それは経験として心に残ります。同じような出来事が起こっても、二度目には経験を活かせば失敗を回避するための知恵となります。だから、どんな経験も無駄ではないと思います。新しいことにどんどんチャレンジして、たくさんの経験を積み重ねたいですね。そうすれば、いつの間にか賢くなっているはずですよ。

2006年7月6日 芸は身を助ける

 管理人の趣味はパソコンです。中学生の頃から始めて二十数年、筋金入りのパソコン好きです。パソコンオタクともいいますね。だから、パソコンでの作業は全く苦にならず、数時間のプログラムやデータの入力もノープロブレムです。プログラムなんかは、出来上がったときのことを考えれば、ゾクゾクするぐらい楽しいくらいです。

 パソコンに対する抵抗は、全くなかったですね。高校の時の授業でのパソコン学習、大学の時の卒業研究に利用したパソコンによる数値解析、会社でのデータ整理や資料作成、プレゼンテーションなどの実務もむしろ好んで実行したものです。当時は、パソコンができる=有能と思われていて、鼻高々でした。全然そんなことはないんですけどね。

 そして現在、パソコンを通じて、アフィリエイトという仕事にめぐり合いました。パソコンを趣味としていたからこそ、めぐり合うことができたのです。管理人がパソコンを保有しておらず、インターネットもしていなかったらまず出会わなかったでしょう。まさに、運命の出会いです。って、ちょっと大げさかな?

 しかし、ある出来事がきっかけで、それまで信じてきた全ての生きる方法を失った管理人にとって、アフィリエイトはそれほど衝撃的な仕事だったのです。道に迷い、どうしていいのかわからず不安だけの毎日に発見した唯一の希望です。ましてや、頑張り次第で月収数百万円も夢ではないと知ったとき、これこそ管理人の生きる道だと信じて疑いませんでした。

 幸いなことに、アフィリエイトはパソコンと身一つで事足ります。資本金も必要ありません。どんな難しい勉強も、パソコンがらみであるなら恐れることは何もありません。どんなに長時間の作業でもパソコンを使うなら、どんとこいです。どんなに苦労してもパソコンを仕事にできるなら、悔いはないでしょう。

 芸は身を助けるということわざがあります。趣味で身につけた芸が、暮らしに困った時には生活を支える手段となるという意味です。まさしく、管理人が趣味で身につけたパソコン技能が、窮地に陥った管理人の生活を支える手段となったわけです。いや、なりそうなわけです。パソコン好きでよかった。

 ただし、管理人はパソコンが好きではあるものの、決してサイト作成の才能があるわけでもなく、商売上手なわけでもありません。成功するかどうかは、これからの活動にかかっています。でも、好きなパソコンで仕事ができる喜びがあれば、くじけることもないはずです(今は、少しさぼり気味ですが)。時間はまだたっぷりあります。焦らず、ゆっくりと頑張っていきたいと思います。

2006年7月7日 居は気を移す

 管理人のサイトは、覇気がないです。特に、日記に関しては明るい話題が少なく、どちらかというと暗い日記に偏っています。それは、管理人の心がいつも元気がなく、暗く沈んでいるからです。だから、自然と思考がネガティブになってしまうのでしょう。従って、文章には覇気がないのです。

 管理人のサイトは、活気がないです。景気の良い話題がなく、狭い見識の範囲内でしか語れません。それは、管理人が実際にアフィリエイトで大儲けした経験がなく、アクセス数も少ないからです。だから、自然と思考がトーンダウンしてしまうのでしょう。従って、文章には活気がないのです。

 管理人のサイトは、やる気がないです。いつまでも古い記事に頼ったままで、新鮮な情報が皆無です。それは、管理人がアフィリエイトについて迷いがあり、やるべきことを考えあぐねているからです。だから、自然と思考が「もうどうでもいいや」という自暴自棄になってしまうのでしょう。従って、文章にはやる気がないのです。

 居は気を移すということわざがあります。人は、地位や環境によってその気持ちが変わり、善にも悪にもなるという意味です。管理人の場合、善とか悪とかそんなスケールの大きな話には無縁ですが、サイトがその時々の運営者の気持ちに左右されるというのはわかる気がします。

 居とは、居城です。サイトは、アフィリエイトをする者にとって大事な城であり、大きく築き上げていかなくてはなりません。また、居とは、居心地です。サイトは、訪問者にとって居心地の良い雰囲気でなくてはなりません。さらに、居とは、居場所です。サイトは、サイト運営者の落ち着ける場所であり、心の拠り所でなくてはなりません。

 そんな居は、気を移すのです。サイト運営者の気持ち次第なのです。管理人の場合、覇気、活気、やる気が反映されているわけです。覇気がなければ、活気がなければ、やる気がなければ、良くなるはずがありません。今の管理人のサイトの状況は、そういう意味で決して良いとは言えないでしょう。

 要は、サイトは自分の分身のようなものです。気の持ちようで、いくらでも変化するということです。本当は、気分に左右されるようなサイト運営はいけないのでしょうが、仕方ないじゃないですか、それが人間なのですから。だから、サイトを運営するなら気持ちに余裕をもって行いましょう。自分の良い面を見せれば、きっと結果も良くなると思います。逆に、悪い面ばかりが目立っては、マイナスですよ。

2006年7月8日 暗がりから牛

 現在、アフィリエイトを行っているサイトは千ではきかないでしょう。ひょっとすると、万のオーダーに届くかもしれません。そんな中で本当に儲かっているサイトはほんのわずかであり、残りのサイトは団子状態といっても過言ではないでしょう。すなわち、儲かっていないということです。

 この団子状態から抜け出すためにはどうしたらいいか、それは自分のサイトの特色をつかむことだと思います。どのサイトを見ても代わり映えしないからこそ団子状態なのであって、他のサイトとは毛色の違う光るものがあれば良いのです。自分にしかできない独特の色をつければ、きっと目立つはずです。

 それは、文章ににじみ出るサイト運営者の個性であったり、奇抜なサイトデザインであったり、独自の視点から見つけた珍しい商材であったり、いろいろ考えられます。とにかく、他人のやらないこと・他人にまねできないことをするべきです。訪問者に、「お、このサイトは違うな」と思ってもらえれば、こっちのものです。

 暗がりから牛ということわざがあります。物事の色や区別がはっきりしないたとえです。アフィリエイトのサイトは、暗がりから牛ではダメなんです。スポットライトから孔雀ぐらい、物事の色や区別がはっきりとしないとダメなんです。幾千、幾万のアフィリエイトサイトに埋もれてしまってはダメなんです。

 また、暗がりから牛にはもうひとつのたとえがあります。動作がのろく、はきはきしないさまです。これまた、アフィリエイトのサイトには重要なことです。せっかく独自の色を見つけた良いサイトであっても、更新が遅く、最新情報にも疎いようでは宝の持ち腐れです。これでは、成功におぼつきません。

 やっぱり、アフィリエイトサイトの運営者は、働き者でなくてはいけないと思います。アフィリエイトという仕事は、やってもやらなくても自由ですが、作りっぱなしで放置しておけば、後から来た者に追い越されるのは必然です。訪問者を飽きさせないことが重要であり、そのためには頻繁な更新は欠かせないんですね。

 そうはいっても、アフィリエイトで成功することは容易ではないでしょう。でも、独自の色を持ち、コツコツと続ける以外に近道はないと思います。自分のサイトに独特の色はありますか?まず、それを見つけることから始めるべきです。ヒントとしては、訪問者に喜んでもらいたいという気持ちを自分なりに素直に表現できれば、なにかしらの色づけができるのではないでしょうかね。

2006年7月9日 九牛の一毛

 サイトを立ち上げたときというのは、とても嬉しいものです。なんせ、世界にたった一つだけの自分のサイトなのですからね。そして、頑張ってサイトを大きくしていき、GoogleやYahoo!JAPANなどの大手検索エンジンで自分のサイトが表示された日にはもう、たまりません。まるで、天下を取ったような気分になったものです。

 だけど、そこからが大変なんですね。大手検索エンジンに表示されるだけなら、正直なところ、誰だってできるのです。表示順位を気にしなければ、よほどの問題がない限り、どこかには表示されます。ましてや、マイナーな検索キーワードでなら、上位表示だってできるでしょう。でも、それだけではアクセス数を増やすためには、何の役にも立たないのです。

 それで、自分のサイトの実力を思い知らされるのです。しょせんは井の中の蛙だったのだと。でも、そのことでめげる必要はありません。どのサイトだって、大きな目で見ればどっこいどっこいなのですから。個人サイトなんて、大手企業サイトのアクセス数に比べれば、どんぐりの背比べでしかありません。

 九牛の一毛ということわざがあります。九頭の牛の中の一本の毛のように、きわめて多くの中のごく小さい一部分をいうたとえです。世界中で公開しているサイトは数十億を越えるといいます。九牛の一毛どころではありません。その中の1サイトなんて、取るに足らない小さなものです。ものの数ではありませんね。

 そんなちっぽけなもののアクセス数が少しぐらい多い少ないで一喜一憂するのは、おかしな話です。もっと、大きな心を持ちましょう。しょせんは、数十億分の一でしかないのですから、アクセス数の増減なんてあってなきがごとしです。どんなサイトも大差ないんです。そう考えれば、ほら、気持ちが楽になったでしょ。

 また、自分のサイトに自信を持つなとは言いませんが、過信するのも禁物です。過信が慢心になり、サイトの内容が傲慢になれば、あっという間に衰退することになるでしょう。数十億分の一でしかないちっぽけなサイトであることを認め、謙虚な気持ちでサイトを運営することが大切だと思います。

 結局、個人サイトなんてどんなに大きくなったところで、世界一になんかなれないのです。だったら、無理して一番を目指すことなどないでしょう。それぞれ自分の目標をクリアできればそれでいいではないですか。どんなサイトも九牛の一毛に過ぎないのと考えれば、嫉妬したり、ライバル心を燃やしたりしても意味のないことです。自分のサイトのことだけを考えれば良いと思いますよ。

2006年7月10日 君子はこれを己に求め小人はこれを人に求む

 人生に失敗はつきものです。すぐに修正できるようなちっちゃな失敗もあれば、人生の命運を左右するような大きな失敗もあるでしょう。誰でも、失敗しようと考えて失敗しているわけではありませんけどね。だけど、何事に関してもそうですが、誰しも失敗することは必ずあるはずです。

 失敗は、嫌なものです。取り返しのつかない失敗ならなおのことです。管理人も、数限りなく失敗を繰り返してきました。「なぜ、あの時こうなってしまったんだろう」と、後悔することしきりです。でも、失敗のたびに心底落ち込んでいたのでは、体がもちません。問題なのは、失敗した後にどう考えて、どう行動するかです。

 君子はこれを己に求め小人はこれを人に求むということわざがあります。人格者は失敗しても失敗の原因をまず自分にあると反省し、徳の足りない人はその原因を他人のせいにしようとするという意味です。う〜ん、深いことわざです。ありがちなことです。きっと、そうなんでしょうね。

 君子でも人格者でもない管理人は、やっぱり失敗を他人のせいにしてしまっているような気がします。そのほうが、自分にとっては気が楽ですからね。なんでも都合の悪いことは他人のせいにする、または世の中のせいにする、はたまた運勢のせいにする、こんなに楽な生き方はありません。どんなことになっても、自分は悪くないんですから。

 だけど、それでは根本的な解決にはなりません。冷静になって、考えてみてください。全部が全部他人が悪い失敗など、そうそうあるわけないのです。自分にもどこかミスがあるはずです。失敗を振り返り、自分の過ちも素直に認めて改める姿勢がなければ、同じような場面に遭遇したとき、何度でも同じ失敗を繰り返すことになります。

 ただし、責任感の強いことは良いことですが、どんなことも自分のせいにして、全て自分で解決しようと考えると大変なことになります。人一人の受け入れられる許容量はたかがしれています。自分を責め続ければ、人間の心なんて簡単に壊れてしまいます。そして、壊れた心は二度と元には戻らないのです。そこまでして、君子たろうとする必要はありません。

 少し脱線しましたが、他人のせいにばかりしてないで、たまには自分で解決しようということですね。その点、アフィリエイトはいいです。責任をなすりつける他人が存在しませんから、どんなことも自己責任です。だから、自分で考え、行動することの大切さが身にしみて理解できます。それでもまだ、世の中や運勢のせいにしているようでは、とても成功などできませんよ。

2006年7月11日 暮れぬ先の提灯

 アフィリエイトを始めると決意したときは、とにかくやる気満々で気がはやるものです。早くサイトを立ち上げて、早く公開したい、その気持ちでいっぱいでしょう。それはそれで結構なことですが、あまり焦りすぎると思わぬ勇み足となります。良かれと思ってしたことが、裏目に出てしまうのです。気をつけないと、大変なことになりますよ。

 暮れぬ先の提灯ということわざがあります。日が暮れる前に提灯に火を灯して歩いても役に立たないことから、先回りしすぎてかえって間が抜けるという意味です。アフィリエイトでもいえることです。誰でも、「わたしはそんなことはない」と思われるでしょうけど、焦っていると意外に気がつかないものです。

 例えば、早く収入に結びつけたいからといって、作りかけのページをたくさん残したままサイトを公開する人がいます。メニューだけ作成してあるものの、内容はまだできていないといった状態です。それを見た訪問者はどう思うでしょう?「内容のない、いい加減なサイトだ」と感じるのではないでしょうか。それでは、収入になど結びつくはずもありませんね。

 また、サイトの作りこみが不十分な状態で、アクセス数を増やすため、相互リンクを申し込む人もいます。相互リンクを依頼された側はどう考えるでしょう?「本当にやる気があるの?」と思わざるを得ません。事実、管理人が受けた相互リンクの半数近くのサイトは、半年と保たずにサイトをたたんでしまうことが多くてがっかりしてます。ということから、中途半端なサイトでは、相互リンクを断られることも多いですよ。

 仮に相互リンクを受けてもらえたとしましょう。だけど、サイトのタイトルを良く考えてつけなかったために、検索エンジンで上位表示されません。相互リンクを申し込む前なら、自分だけでタイトルを変更すれば済みます。ところが、相互リンクした後では、相互リンク先にも連絡しないといけません。相互リンク先が百件もあれば、百件に連絡しなくてはいけないのです。かなりのロスですよね。

 他にも、お金儲けのために、アフィリエイトプログラムをたくさん選択したくなることもあるでしょう。だけど、どんなにたくさん選んだところで、気持ちのこもった紹介文を書ける数は、一日にたかがしれています。そんなアフィリエイトプログラムの紹介ばかりに力を入れて、肝心のサイトの本筋をおろそかにしては、本末転倒です。焦りすぎて、順番が逆になっています。

 先を読んで、あらかじめそれに備えることは間違ったことではありません。ですが、サイトを始めたばかりの頃は、ただの焦りになってしまうことが多いのです。それで、失敗することはよくあることなのです。まずは、サイトの骨格をしっかり整えることを優先すべきだと思います。管理人はサイトを公開するまで3ヶ月以上かけました。それでも足りなかったと反省しているくらいですから。落ち着いて考えて行動しましょうね。

2006年7月12日 君子は義に喩り小人は利に喩る

 君子は義に喩り小人は利に喩るということわざがあります。教養のある人は、全ての物事を正しい道に合うかどうかと考えるが、無教養の人は、どうしたら利益を得られるか、そればかりを考えるものであるという意味です。う〜ん、痛いところをついたことわざです。まるで、管理人が小人だといわんばかりです。まあ、小人なんですけどね。

 振り返ってみると、管理人は確かに利益を得ることばかりを考えて、サイトを運営してきたかもしれません。とにかくたくさんのアフィリエイトプログラムを紹介しようと躍起になっていた時期がありましたからね。それが、利益を増やすことにつながると信じていましたから。だけど、結果は惨憺たるものでした。

 最近になってようやくわかってきたことですけど、むやみやたらにアフィリエイトプログラムを紹介すればいいってものじゃないんですね。しっかりとした内容があってこそのサイトであり、それがアクセスを増やし、最終的に利益を増やすことにつながるんですね。えっ、気がつくのが遅いって?すみません、小人なもので。

 アフィリエイトはお金儲けですから、利益を考えることは当然です。だけど利益のことばかり優先していてはダメなんです。アフィリエイトプログラムの紹介ばかりに終始しているようなサイトは、ただのリンク集となんら変わりがありません。そんなサイトには、人は集まってくれないのです。ましてや、リピーターになどなってくれるわけもありません。

 アフィリエイトのサイトにおいて、主となるべきはそのジャンルに精通した知識です。面白い内容です。アフィリエイトプログラムの紹介はおまけなのです。それなのに、アフィリエイトプログラムの紹介を主にして、それ以外の記事をおまけにするのは、とんでもない勘違いです。誤った考え方です。

 管理人は教養がある君子ではありませんから、全ての物事を正しい道に合うかどうかと考えることなどできませんが、ことアフィリエイトに関してはそれほど間違った考え方ではないと思います。例えば、ショップに買い物に行ったとき、やたら商品を売りつけようとする店員さんと、親身になって相談にのってくれてアフターサービスも万全な店員さんなら、どちらが良いか言うまでもありませんね。それと同じことです。

 まあ、利益そっちのけで、無償でためになる記事ばかり書けるような君子にはなれそうもありませんけど、せめて利益ばかりを考える小人でも終わりたくありませんね。だから、中人くらいを目指せば、ちょうどいいのかもしれません。中国人じゃありませんよ。とにかく、欲をかくのもほどほどにということですね。欲望を見透かされては、訪問者に嫌われますから。

2006年7月13日 下衆のかんぐり

 管理人は、決して品行方正な人間ではありません。どちらかといえば、下衆の部類に入るでしょう。最近は特に、何でも疑ってかかる癖がついてしまっているし、他人の親切も素直に受けられなくなってしまいました。おかしいなあ、いつからこんな人間になってしまったのでしょう。子供の頃は、もっと素直だったはずなのにね。

 例えば、他人のサイトを見るときにでも、良いところを探そうとせず、欠点を探そうとするし、最初から否定的な目で見てしまいます。大儲けしているサイトを見れば、嫉妬心も相まって、「何か裏で悪いことでもしているのでは?」なんて、根拠もなく疑ってしまいます。そんなはずないのに。嫌な人間ですね。自分でも、そう思います。

 下衆のかんぐりということわざがあります。品性の卑しいものは何事に対しても気を回しすぎ、邪推をしたがるというたとえです。管理人がまさにこれです。ストライクです。やっぱり、自分自身のやっていることに自信が持てないから、他人に対しても厳しくなってしまうのかもしれませんね。

 確かに、最近の社会情勢では、簡単に他人を信じると痛い目を見ることも多いです。インターネットの世界でも同じです。頻繁に届く迷惑メールを全て素直に受け取って返信していれば、すぐに詐欺に引っかかるでしょうし、情報商材を一から十まで信じて購入すれば、お金がいくらあっても足りません。

 だけど、本当に運営者の厚意で運営しているサイトもたくさんあるのです。そんなところまで、全て疑ってかかっていたら、せっかくの貴重な情報もみすみす見逃すことになります。成功しているサイトの良いところを見つけて吸収しなければ、自分のサイトのレベルアップなどできるはずもありません。

 それに、サイト運営者が何者も信じないような人間では、書いている記事にもそんな雰囲気が表れるでしょう。そうなれば、訪問者だって敏感に察知して、ウケるわけがありません。だって、書いている本人が誰も信じないのに、訪問者にだけは自分を信じろなんて虫の良すぎる話ですからね。

 何を信じて何を信じないかというのは難しい問題ですが、少なくとも一所懸命やっているサイトはなんとなくわかるはずです。例えば、お金儲けの話題ばかりでなく、記事の内容に気持ちがこもっていたり、更新の頻度が高く、更新内容も充実していたりなどですね。そのようなサイトは、信じるに値すると思います。何事も邪推するようになっては、最後には一人ぼっちですよ。

2006年7月14日 健全なる精神は健全なる身体に宿る

 管理人は、運動をすることは全くありません。それどころか、外出することさえ少ないです。ですから、運動不足で当たり前のように太っていて、今の季節、外出するだけで滝のような汗がしたたり落ちます。ハンカチだけでは吸収しきれないので、本当にもうバスタオルを首にかけて歩きたいくらいです。

 たくさんの汗をかいていると、もう考えるどころではありませんね。意識は朦朧とし、自分が何をしたいのかもわからなくなってきます。思うことはただひとつ、早く涼しいところで休みたい、それにつきます。普通の人にはなんでもない行動も、管理人にとっては見渡す限り続く砂漠を行くが如しです。大げさに思うかもしれませんけど、本当なんですって。

 健全なる精神は健全なる身体に宿るということわざがあります。精神と身体はひとつのものであって、身体が健全であると精神も健康であるという意味です。う〜ん、確かに太っていて健全な身体でない管理人には、暑い中ではまともな思考能力がありませんからね。まあ、それ以前の問題だと言われそうですけど。

 冗談はさておき、このことわざのいうことも正しいと思います。ずっと部屋の中に引きこもりっぱなしで、パソコンと向き合うのも良いですけど、どこかで身体をリフレッシュしないと良いアイデアも浮かばなくなりますよね。ましてや目が痛くなったり、頭痛がしたりしだしては、精神集中などできるはずもありません。

 また、スポーツや運動で身体を鍛えている人達は、概ね考え方が爽やかですよね。ストレスを発散して、自己コントロールしているからでしょうか。それに対し、管理人のようなインドア派の人間は、考え方が暗くて、うじうじくよくよしているイメージがあります。もっともこれは、管理人だけかもしれませんが。こんな不健全な精神では、面白いサイトを作れるわけもないですね。

 それに、インターネットから得られる情報だけでは、限りがあります。部屋の中だけでは、それほど面白い事件は発生しないのです。健全な身体で外へ出て、いろんなことを体験してこそ、ネタが増えて、人間の幅が拡がるってものです。そうなると、記事の内容が違ってくると思いますよ。

 このことわざの真逆である管理人がこんなことを書いても説得力がないでしょうけど、管理人だって健全な身体に憧れる気持ちはあるし、そうなれば少しはマシな精神にもなれるように思うのです。仕事ができる人は私生活も充実しているといいます。私生活を充実するには、まず健康第一ですね。管理人も、奮起せねば。

2006年7月15日 犬馬の歯

 最近つくづく感じます。管理人も年をとったものだと。少し動くだけで疲れるし、頭の回転は遅くなるし、反応は鈍いし、あれもこれも良いことはひとつもありません。それに、若い頃には確かにあった、ギラギラするような欲望がなくなりましたね。何事に対してもどうでもよくなってきています。管理人も枯れてきたのかなあ。

 そこで考えてみます。管理人は年相応に成長してきたのかどうかということを。う〜ん、無駄に年をとっただけで、あまり人間的に成長していないような気がします。下手すると、若い頃よりも退化しているかも?十分あり得ます。体重だけは、人並み以上に成長しているんですけどねえ。

 アフィリエイトに関しても同じです。あるところまでは、確かに成長していると感じていました。ところが、半年ほど前から、成長は止まったままです。新しい記事は書いていないし、デザインに手を加えることもなくなりましたから。できることといえば、日記を更新することだけです。これでは、生きる屍ですね。

 犬馬の歯ということわざがあります。犬や馬のように無駄な年齢を重ねるという意味です。管理人にぴったりのことわざです。いや、犬や馬でも年を取れば賢く、強靭になることを考えれば、管理人は犬や馬以下の存在かもしれません。それは、人間として恥ずかしいことですね。

 やっぱり、人間には向上心というものがなければ、成長することはできないと思います。必ず上を目指してやるというような強い欲望でも良いです。それが、やる気につながり、苦労にも負けず様々な経験を経て、成し遂げることで成長するのです。目標を持たず、平々凡々と暮らしていては、無駄に年齢を重ねるだけです。

 管理人もアフィリエイトを始めた当初は、向上心に溢れていたはずです。高い目標も掲げかました。だからこそ、サイトを良くしようと努力したし、そのおかげでサイトも少しは成長したんです。その向上心を放棄した現在、成長しないのは当たり前のことです。アクセス数が伸びないのも、収入が増えないのも全て自業自得です。

 管理人も年をとったとはいえまだまだ30代です。もう少し、成長する余力も残っていると思いたいです。枯れてしまっている場合じゃありません。今一度、欲望を思い出して、頑張らねばいけないでしょう。金銭欲でも物欲でもパワーになるなら、なんでもいいです。とにかく、やる気を燃焼させたいですね。ファイアー。

2006年7月16日 後悔は平日の油断

 管理人には、トラウマがあります。もう数年も前の出来事なのに、未だに毎晩のように夢に出てきて、管理人を苦しめます。忘れようとしても、忘れられません。おそらく、一生忘れることなどできないのでしょう。過去にとらわれるのは愚かなことですけど、こればかりはどうしようもありません。

 なぜこんなことになってしまったのか、理由を考えることはできます。管理人の心の弱さが災いしたのです。たった一瞬の判断ミスが致命的だったのです。あのときに踏ん張っていれば、こんなに苦しめられることはなかったのに・・・。ですが、時すでに遅しで、起きてしまったことは二度と元には戻りません。

 後悔は平日の油断ということわざがあります。そのまんまの意味で、後悔は普段の油断から発生するということです。管理人の場合、油断していたつもりはなかったのですが、結果的に最悪となってしまいました。やっぱり、心のどこかに現状から逃げ出したいという油断があったのかなあ。

 まあ、そんなトラウマになるような出来事は一生に何度もあるわけではないにしても、日常生活において後悔することは結構ありますよね。うっかりテレビの録画を忘れたり、寝坊して遅刻したり、ダイエット中にお菓子を食べてしまったりなどなど。これらは、普段の油断に起因してることが多いです。

 アフィリエイトだって同じことです。例えば、「今日一日ぐらい更新しなくてもいいさ」という考えが、一日が二日に、二日が一週間に、一週間が一ヶ月に、そして最終的にサイト閉鎖になることだってあるのです。たった一日の油断が、アフィリエイト失敗の後悔へとつながるのです。

 高慢、怠慢、不満、自信過剰、現実逃避など、全て油断の一種です。気をつけなくてはいけません。常に気を張りつめていることは無理でしょうけど、できる限り用心深く、よく考えて行動するべきです。リラックスすることは鋭気を養うために大切なことですが、気を抜き過ぎないように注意しないと足元をすくわれます。

 日常生活のうっかりミスやアフィリエイトでの失敗などは後悔してもたかがしれています。取り返しがつきますから。しかし、運命を左右する大事なときに油断して決断を誤ると、一生後悔することになります。そんなことだけは、避けたいですよね。だから、常日頃から冷静な行動を心がけましょう。油断大敵ですよ。

2006年7月17日 下駄と焼き味噌

 インターネットを利用したビジネスは、いくつもあります。やっていない人達から見れば同じように見えるかもしれませんが、内容は全く異なるのです。中でもアフィリエイトは、資本もかからず、他人に迷惑をかけることもなく、自分の実力次第で収入も増えるやりがいのある仕事だと思います。

 例えば、在宅ワークとか在宅ビジネスと称するものがあります。実はこれには2種類あって、ひとつはデータ入力や図面作成といった契約先から依頼された作業をこなすものです。これは、仕事さえもらえれば一定の収入が得られますが、仕事量の割には儲からないんですね。作業も単調です。アフィリエイトのようなやりがいがないんです。さらには、仕事に使うソフトを数十万円で購入させられたりする場合もありますのでご注意を。

 もうひとつの在宅ビジネスは、会員を集めて商品を買わせるといった仕事です。「メールのやり取りさえできれば誰にでもできて、高収入」というのがうたい文句です。だけど、自分が儲けるため、数十万円もする商品を売りつけるという行為には、心が痛みませんか。なかなか売れるものでもないですし。こういう系統の在宅ビジネスは、大抵の場合、先に始めた会員だけが儲かる仕組みになっていますしね。それらの点で、アフィリエイトとは根本的に異なります。

 さらには、アフィリエイトと混同されるものとして、出会い系サイトの運営があります。確かに、アフィリエイトで出会い系サイトをしている人達も一部にはいます。だけど、迷惑メールを多発したり、ブログや掲示板にスパム行為をするのはアフィリエイトではありません。それらの行為は、アフィリエイトサービスプロバイダの規約で厳しく禁じられているので、アフィリエイトではないのです。まじめなアフィリエイターは他人に迷惑はかけません。一緒にされると、心外です。

 情報起業というものもあります。情報を商材として、販売する仕事です。ですが、これもピンからキリまであって、ひどいものは限りなくダークサイドに近い代物です。それに、他人に売れるような情報を作り出せるような人はごく一部で、容易なことではないはずです。かといって、よく内容を知りもしない情報商材をいくつも紹介して儲けようというのも、問題があるように思います。それは、アフィリエイトの範疇を越えているような気がします。

 下駄と焼き味噌ということわざがあります。外形が少し似ていても、実質が非常に違うもののたとえです。上述のように、同じインターネットを利用した仕事でも、実質は非常に異なるのです。これからインターネットビジネスを始めようという方は、よく研究した上で参加を決めてください。

 管理人は、アフィリエイトを選びました。儲かる儲からないは別にして、やっていて楽しい仕事は他にはないと思いましたから。完全実力主義で、何もかも自己責任なのも気に入った理由です。納期もなければノルマもない、独りだけで全てが行えますしね。後は、簡単に儲かれば鬼に金棒ですが、そこだけはうまくいきません。まあ、努力しなければ儲からないのはどんな仕事でも同じですからね。

2006年7月18日 好事も無きに如かず

 幸せ探して数十年、なかなか幸せにめぐり合えない管理人です。そういえば最近、良いこともないなあ。あるのは、無駄に多い汗と人並みはずれてたくさんの贅肉ばかり、人生ままならないものですね。まあ、ほとんど食っちゃ寝の生活ですから、当たり前といえば当たり前なんですけど。

 だけど、好事も無きに如かずということわざもあります。人生は無事なのが一番である、たとえ良いことでも、あればあったでそれだけ煩わしいことも多いから、いっそ何事もないほうが良いのであるという意味です。う〜ん、そういうものですかねえ。あまり良いことに慣れてないから、よくわからないです。

 でも、確かにそういうことはあるかもしれません。例えば、宝くじが当たったとしたら、情報を聞きつけたいろいろな団体から寄付の要求が頻繁にあるという話を聞いたことがあります。そりゃあ、煩わしいですね。例えば、道で一億円拾ったとしても、下手な事件に巻き込まれる可能性が出てきて心配になります。それも、煩わしいですね。

 アフィリエイトでも、大儲けすればいろいろと煩わしいことが起きるはずです。まずは、税金の申告をしなくてはなりません。会社員の副業であれば、会社にばれないようにしなくてはなりませんから、面倒らしいですね。それに、大儲けしていることを妬む人達から、ありもしないいちゃもんやバッシングがあるかもしれません。

 そう考えると、管理人は良いことがなくて幸せだなあ。って、違〜う!そんなこと思うわけないじゃないですか。どんな煩わしいことがあろうとも、管理人は良いことが起こって欲しいですよ。何事もないのが如何に寂しいことか、まだまだわかっちゃいませんね、このことわざも。青い、青い。

 良いことが起こってからの煩わしいことなど、しょせん贅沢な悩みですよ。勝者の理論です。悪いことが起こったって煩わしいことになるんですから、どうせなら良いことで悩んだほうがいいに決まってるじゃありませんか。さらに、何事もなければ喜びも楽しみも何もないわけですから。良いことでもなければ、底辺の生活から抜け出せませんしね。

 まあ、ことわざに文句を言っても仕方ありませんが、やっぱり良いことはあって欲しいですね。特に、アフィリエイトという仕事をするのなら、上を目指す気構えがなければ、成功もできません。何事もないほうが良いなんて妥協してしまったら、それで終わりです。それに、頑張った分だけ良いことがなければ、徒労ということですもんね。そんなのは、悲しすぎますぜ。

2006年7月19日 巧言令色鮮し仁

 管理人は、八方美人です。とにかく、他人の言うことには逆らわず、相槌を打つことが多いです。それができないときには、とりあえず愛想笑いをしておきます。そうすることで、とりあえず他人から嫌われないように気を使っています。長い間に身についた、管理人なりの処世術です。

 巧言令色鮮し仁ということわざがあります。うまく言葉を飾ったり、他人の顔色をうかがったりする者には、人の道を心得た人が少ない、心にもないことを言っておべっかを使う八方美人には、誠実な人間は少ないという意味です。か〜、厳しいことを言ってくれますね。管理人の人格を完全否定です。

 確かにことわざのいうことは、正しいかもしれませんよ。だけどね、こうすることでしか人付き合いのうまくできない人も中にはいるってこともわかって欲しいですね。別に、管理人だって、好きでこんな行動をとっているわけではないんですから。これでも、必死で人の輪に溶け込めるように努力しているんですから。それでもダメだしされるのは、とても理不尽に感じます。

 気が小さい管理人には、他人の意見に逆らってまで、自分の意見をはっきりと伝えることは難しいのです。頭の悪い管理人には、おべっかを使うぐらいしかうまく話すことができないのです。性格の暗い管理人には、八方美人になりきらなくては、場の雰囲気を良くするような気のきいた会話はできないのです。

 わかってはいるんですよ。こんなことではいけないってことはね。こんな人間は、しょせんうわべだけの付き合いしかできず、深い関係になれないんです。それは、他人から見て、人の道を心得た人でない、誠実な人間でないとうつるからでしょう。事実、管理人には友人が少ないです。とても孤独なんです。

 だから、せめてインターネットのサイトの中だけでも、ありのままの自分を出したいと思っています。普段、他人を目の前にしては言えない様なことも、文章でなら書けますから。会話が苦手な反動か、サイトでは思いのたけを延々と書きまくっています。やっと、自分の意見をまともに伝えることができる絶好の場を得た気がします。

 管理人の書いている文章が、人格者とうつるか、誠実な人間ととらえられるかはわかりません。きっと、そんなことはないでしょうけど。でも、正直な気持ちを伝えているつもりでいます。それだけで満足ですので、他人からどう思われようとかまわないのです。本当は、アフィリエイトサイトとして、こんな内容はふさわしくないでしょう。だけど、管理人はこれで良いと思っています。わたしがわたしらしくいられる、唯一の場所なのですから。

2006年7月20日 高慢は出世の行き止まり

 管理人は、日記を書いていて少し気になるところがあります。少し調子に乗りすぎて、読者様より上の立場から発言していないかということです。何だか、偉そうなことばかり書いているような気がします。全然たいした実績もない管理人にそんな物言いをされたら、頭にきますよね。それで、読者様に嫌われていないかと、気が気ではありません。

 「そんな偉そうなことを書くのなら、お前がやってみろ」という声が聞こえてきそうですが、まったくもってその通りであります。いつの間にか、「自分は頑張ってきたんだ」と勘違いしていたのかもしれませんね。それが、文面に表れていたのです。管理人の中身なんか、ちっとも成長していないのに。

 高慢は出世の行き止まりということわざがあります。謙虚な心を忘れて自分の出世ばかり自慢するようになったら、それ以上は出世も人間的な成長もできないという意味です。本当にその通りですね。高慢な人は、他人から疎まれて人望がありませんからね。そうなれば、出世などできるはずもありません。

 他人の自慢話ほど、聞いていてつまらないものはないです。そりゃあ、中には参考になる話があることもありますが、ほとんどが自分中心の話であって、聞いている者にとっては面白くも何ともありません。そんな話を延々と聞かされた日にゃ、うんざりを通り越して怒りにまで発展しちゃいそうです。

 ブログだって同じことです。いや、ブログのほうがたちが悪いかもしれません。会話なら知り合いにしか迷惑をかけませんけど、ブログではだれかれかまわずに迷惑をかけるのですから。まあ、そんなブログは嫌われて、人気が出るはずもないですけどね。そうか、だから管理人のブログは人気がないのか(それ以前の問題かもしれませんけどね)。

 やっぱり、謙虚な心を忘れてはいけません。「話を聞かせてやる」ではなく、「話を聞いてもらう」という姿勢が大切だと思います。上からものを言う態度ではダメです。かといってへりくだっておべっかを使えとは言いませんが、読者様と同じ目線で発言することを心がけるべきです。そのほうが、親しまれやすい人間(ブログ)となるでしょう。

 人間、高慢になってはいけません。自慢ばかりするのは、成長ではなく、増長です。調子に乗っているときは、自分ではなかなか気づかないものです。たまには、自分の言動を振り返って、反省してみましょう。自分がどれだけ嫌な人間だったかわかるかもしれませんよ。管理人も、今後気をつけます。他人からそっぽを向かれたブログほど寂しいものはありませんからね。

2006年7月21日 賢者は中道を取る

 どうも管理人は、優柔不断でいかんです。意思が弱いのか、はたまた頭が弱いのか、あるいはその両方か。とにかく何事に対しても、決断が遅いんです。この前だって、たかが少し外出するだけで、行こうか行こまいか決められず、あっちうろうろこっちうろうろでした。はたから見れば、まるで動物園のゴリラのように。

 また、管理人は事なかれ主義でいかんです。現状維持することを重視し、どっちつかずで、思い切った冒険は避けてる性質です。「だって、何か事を起こして、面倒なことになったら嫌じゃん」という全くもって若者らしくない考え方をしてしまいます。まあ、若者ではないですけどね。

 賢者は中道を取るということわざがあります。教養のある人は、偏らない中正の道を選び、極端な過激なことはしないという意味です。ということは、優柔不断でどっちつかずな管理人は、どんなときもどちらか一方を選べず中立的だから、もしかして賢者?教養のある人?って、そんなわけありませんよね。

 このことわざの意味するところは、「賢者は優柔不断である」ということでなく、「賢者はどんな場合でも、公平で正しい道を選ぶ」ということだと思います。決して、決断ができない人のことではありません。もちろん、何もしない人のことでもないですよ。極端に過激なことはしなくとも、正しいことはちゃんと実行する人のことです。

 確かに、世の中にはいろんな意見があり、どちらか一方に見方すれば、角が立つことが往々にしてあります。それに、必ずしも一方が正しく一方が悪いなんていう二極化できることは稀であり、どちらにも言い分があることがほとんどです。裁判官でもない限り、審判を下すことなどできるはずもありません。

 だからこそ、賢者は中道を取るということでしょう。アフィリエイトにおいても、こう考えるべきです。すなわち、商品を売りたいがために、極端にべた褒めばかりするようでは公平さを欠くので、購入者の視点から見るようにして、中正に判断して良い所・悪い所を紹介するという姿勢が賢い人のすることなのです。

 自分の意見をしっかり示すことは、間違ったことではありません。しかし、極端な意見はときに危うい方向へ行きかねません。だから、教養のある人は、自分の知識と照らし合わせ、かつ様々な意見を聞いた上で、自分の態度を偏らない中正に取るということです。管理人のような凡人にはとても難しいことですが、頭の片隅にでもこのことわざを覚えておきたいですね。

2006年7月22日 呉牛月に喘ぐ

 管理人の気は小さいです。それはもう、小動物のように小さいです。どれくらい気が小さいかというと、小学校の頃の野球大会の日に、自分の打順が回ってきたとき、緊張のあまり左利きなのに右バッターボックスに立って気がつかなかったほどです。また、どんな集合時間にも遅刻するのが怖いので、必ず決められた時間の一時間以上前には到着しているくらいです。

 そのくせ、見栄だけは人一倍強いから、失敗を極端に恐れるんです。人前で失敗して笑われたらどうしよう、他人に迷惑をかけたらどうしようと考えると、何日も前から憂鬱になってしまいます。だから、普通の人なら簡単なことでも、管理人には新たな一歩を踏み出すのにとても勇気がいるのです。

 呉牛月に喘ぐということわざがあります。呉牛は水牛のことで、暑さを非常に恐れる水牛は、月を見ても太陽かと思って喘ぐことから、過度に恐れること、極端な恐怖症を意味します。管理人は、まさに呉牛のようです。もっとも、見た目は呉牛というよりも、信楽焼きのたぬきのようですけどね。

 だけど、こういう性格というのは、何かにつけて損します。人見知りで積極性がないから、仲間に打ち解けるまでに時間がかかるし、新しいことに挑戦する勇気がないから、いつまでたっても見識も趣味も幅が拡がりません。それに、何かにつけてうじうじくよくよ悩んでいるから、楽しさを感じることが少なくなってしまいます。

 アフィリエイトには不向きな性格といえますね。アフィリエイトなんて他人より率先して新しいことにチャレンジし続けなくては、とても成功にはおぼつきません。積極性こそアフィリエイトという仕事の要となるものです。勇気こそアフィリエイトという仕事の重要な要素です。失敗を恐れて何もしないでいては、進歩はないのです。

 開き直って考えてみましょう。アフィリエイトなんて、よっぽど悪いことをしない限り、他人に迷惑をかけることはありません。失敗したって、自分に跳ね返ってくるだけで、何の問題もないです。ネットの世界ですから、対面しているときほど他人の目を気にする必要もないはずです。それに、アフィリエイトなら何度でもやり直しがきくのです。

 いいじゃないですか、人に迷惑をかけないのなら、それほど恥をかかないのなら、自分の自由にやったって。自分の個性を出して、やりたいように正直にサイトを運営していれば、きっと良い方向へ進むと思います。過度に恐れることはありません。落ち着いてみれば、呉牛だって月と太陽の区別くらいつくはずですよ。他人事じゃなく、管理人にこそ言えることですけどね。

2006年7月23日 虚仮の一念

 この日記も、書き始めてからついに丸二年を越えました。最初は軽い気持ちで始めたものの、いつのまにやら真剣に取り組むようになっていました。それこそメインサイトの更新そっちのけで、日記の更新を優先しているほどです(それはそれで問題ありですけど)。思えば遠くへ来たもんだ。

 虚仮の一念ということわざがあります。虚仮とは愚かなことの意味で、愚かな者でも一心に事に当たれば成し遂げられるということです。まさに、管理人の今の心境を表わしたようなことわざです。愚か者の管理人でも、駄文の積み重ねとはいえ、ここまで大量の記事を残すことができたのですから。奇跡に近い出来事です。

 管理人は日記を書くに当たって、自分なりの決めごとを作りました。ひとつは毎日必ず続けることです。簡単だと思っていたんですが、これがまた思いのほか大変でしたね。ネタには困るは、時間はかかるは、休めないはで、とても辛いときもありました。だけど、一日でも休むとズルズルと書かなくなりそうだったので、必死に頑張ってきたのです。内容のひどいときもありましたけどね。

 もうひとつの決まりごとは、とにかく一定以上の長さの文章を書くことです。如何に毎日書き続けても1日に1行や2行では意味がないし、読んでくださる人達にも失礼だと思ったからです。そのために、さらなる苦労を背負い込むことになりましたが。でも、誰に強要されたわけでなく、好きでやっていることだし、好き勝手なこと書いているんだから文句は言えませんね。

 振り返れば、最初の頃の日記は、文章こそ未熟で恥ずかしいものの、アフィリエイトに対する希望と情熱がいっぱいでしたね。それが、何度も壁にぶち当たり、いつからか苦労話と愚痴が多くなっています。そして、今やすっかりやさぐれて、ひねくれて、ふてくされて、妙なスタイルに落ち着いてしまいました。偉そうにアフィリエイトのことを語ることが多くなりましたが、本当にわかっていないのは管理人本人なのにね。

 思うに、日記は、管理人のこれまでのアフィリエイトにおける成功と失敗の軌跡です。その時々に何を思い、何を考えていたかが赤裸々に書かれています。読んでくださっている人達には悪いのですが、管理人の、管理人のによる、管理人のための内容がほとんどです。役に立つ内容はわずかしかなかったことと思います。

 こんな日記ですから、便乗したアフィリエイトでお金を儲けようとは、毛頭考えていません。事実、儲かっていませんしね。では、なぜ日記を書き続けるのか、それは好きだからです。管理人の思いを伝えられる唯一の場所だからです。いわば日記を書くことは、既に管理人のライフワークなのです。これからも駄文が続くでしょうが、ネタのある限り、書き続けるつもりです。だけど、アフィリエイトの有益な情報は、期待しないで下さいね。あくまでも、”悪戦苦闘日記”ですので、あしからず。

2006年7月24日 下種の後知恵

 後になってから、「あの時こうしておけばよかった」と思うことはありませんか。管理人はしょっちゅうあります。深く考えないで行動している証拠ですね。それとも、いつも大事なところで手を抜いているということかもしれません。どっちにしても、全てが終わった後に良いアイデアが浮かんでも、時すでに遅しです。

 また、他人が成功したネタを見て、「わたしもやっていればよかった」と思ったことはありませんか。これも、管理人は頻繁にあります。だけど、そのネタを見たから思いついただけで、自分一人では想像だにできなかったでしょう。そして、後からそのネタを真似してみたところで、そうそう柳の下に二匹目のどじょうはいないものです。

 そんな管理人にぴったりのことわざ、下種の後知恵ということわざがあります。考えの浅い者は、事に当たっているそのときは良い考えが浮かぶ余裕はなく、事が終わったその後になってから考えつくという意味です。そうなんですよね。考えが浅いというか、甘いというか、何をするにしても思案が足りないんです。

 管理人の失敗例その1、管理人はアフィリエイトに出会って喜び勇んでサイトを作成しました。とにかく記事をたくさん書こうと、毎日一所懸命書き続けました。そして、数ヶ月が経過後、ふと気づいたのです。管理人のサイトの各ページには、メニューがないから使い勝手が悪いということに。そのときには、既に数百ページが完成していましたが、泣く泣く全ページにメニューを追加しましたよ。大変でした。

 管理人の失敗例その2、管理人はサイトで毎日日記を公開することに決めました。何も考えず、ひたすら日記を書き続けました。そして、半年以上経過した頃に、気がついたのです。ブログというすばらしいツールがあるということに。ブログを使えば、読者様とのコミュニケーションもとれて、ランキングにも参加できるんです。仕方がないから、半年以上書き溜めた日記をブログにも移し変えたのです。大変でした。

 このように、事の始めによく考えていれば何の苦労もなかったものが、思案が足りなかったために後からとても大変な作業が必要になることが有り得るのです。管理人はこんなことの繰り返しです。また、具体例こそ出しませんでしたが、他人のサイトが大儲けしているのを見て「わたしもやっておくべきだった」と思うネタはたくさんありました。真似は嫌だから、実際にはやりませんでしたけどね。

 やっぱり、頭があるんですから、ちゃんと使わないといけません。飾りじゃないんですよ、頭は。成功するもしないも、ほんのちょっとのアイデアを考えつくかどうかの勝負です。焦らず、心に余裕をもって事に当たりましょう。失敗して学ぶことも多いですが、失敗せずに済むならそれに越したことはありませんからね。

2006年7月25日 極楽願わんより地獄作るな

 自分で言うのもなんですが、管理人の今の生活状況が幸せか不幸せかといえば、不幸せだろうと思っています。不幸自慢大会があれば、上位入賞するくらいの自信があります(自慢にもなりませんけど)。具体的な理由を書くとひかれるので書きませんが、毎日気分は沈んだままで、楽しいと感じることが少なくなりましたね。

 別に好き好んで不幸になっているわけではありませんけど、不幸になったのはおそらく自分が悪いんです。苦手なことを避け、嫌なことから逃げ出し、面倒なことをしてこなかった自分が悪いんです。そりゃあ、言い訳のひとつやふたつは考えつきますが、結局自分がだらしないからという結論に至るのです。因果応報ってやつですね。

 極楽願わんより地獄作るなということわざがあります。幸福になることを願うよりも、むしろ不幸になる原因を作らないように注意せよという戒めのことわざです。そうなんですよね。管理人の場合も、不幸になる原因を作るから、なるべくして不幸になっているんです。決して、他人のせいではないんです。

 幸福になることを願っても、それがかなうかどうかは成り行きに任せるしかありません。だけど、不幸になることは、自分が原因さえ作らなければ回避することもできると思います。不幸の全部が全部、自分だけのせいだとは言いませんが、自分でできることはやっておけばそれだけ不幸も少なくなると思います。それを怠った管理人が不幸なのは、当然かもしれません。

 自分が不幸だと考えれば考えるほど、不幸の原因は増えていきます。「どうせ、わたしなんか何をしたってダメなんだから」と考える気持ちが何もしないことにつながるから、新たな不幸の原因となるのではないでしょうか。要は不幸の連鎖です。この連鎖を断ち切らなくては、本当に幸福などやってこないと思います。

 アフィリエイトだってそうですよ。儲からない儲からないと言ってばかりいても、何の解決にもなりません。その原因を作っているのは他でもない自分なんです。やるべきことをしないから、儲からないんです。儲かっていないときほどより頑張らなければ、いつまでたってもダメなままですよ。管理人もそうですから。

 幸福になるのは偶然、不幸になるのは必然なのかもしれません。でも、不幸になってしまったものはしようがありません。今後、どうやって不幸から抜け出すかを考えましょう。よく言うじゃありませんか。今がどん底ならこれ以上落ちることはなく、後は這い上がるだけだと。前向きに考えるようにすれば、きっと事態も好転するでしょう。そう信じて、生きていくとしましょうか。

2006年7月26日 心ここに在らざれば視れども見えず

 最近の管理人は、注意力散漫で困ります。テレビを見ていても、つい良い場面を見逃してしまいます。大好きなお笑い番組で、観客が大笑いしているのに、そのギャグを聞き逃して「しまった」なんてことが多々あります。本を読んでいてもそう。読んだはずの登場人物や場面の設定がちっとも頭に入っていないので、何度もページを戻さなくてはなりません。たかが4コマまんがでさえ。

 まあ、テレビや本は他の人に迷惑をかけるわけではありませんからまだましですけど、約束事や連絡事項まで忘れるとなると、日常生活にも支障をきたします。会話でちゃんと聞いて返事までしていたはずなのに、右の耳から左の耳へ素通りしているんですね。それもこれも、あれこれいろんなことを考えすぎるためなんでしょうかね。心ここに在らずということです。

 心ここに在らざれば視れども見えずということわざがあります。心が上の空では、見ているようでも、実際は何も見えていないという意味です。その通りですね。決してわざと忘れようとして忘れているんではなく、もとから心がここにないから、見ているようで見ていない、聞いているようで聞いていないということです。覚えていないのも当然です。

 つまり、集中力が肝要ということですね。目の前のことに集中しなければ、物事の本質が見えていないのですからできるものもできませんし、見えてない部分を探すため時間がかかってしようがありません。それに、集中できずに目的さえ見失った状態では、寝ているのと同じことです。だったら、寝てろって話ですよ。

 アフィリエイトでもそうです。膨大なアフィリエイトプログラムの中から、儲かりそうなものを選ぶのには、集中力が必須です。ぼーっと眺めているだけでは、せっかくの良いアフィリエイトプログラムを見逃すことになります。そうなれば、知らず知らずのうちにアフィリエイトで儲ける機会を失っていることになります。

 大儲けしている他の人のサイトを見るときでも、偏見の目で見ればあら探しばかりに気をとられて、せっかくの充実した部分も見過ごすことになります。素直に良いところを学ぼうという集中力がなければ、そのサイトの本質を見抜くことが出来ず、時間の無駄で意味がないのです。

 ずっと心を張りつめていることは大変ですけれど、大事なところでは集中することが大切だと思います。せっかくテレビを見ているのに、他のことを考えていては楽しめないでしょ。せっかく本を読んでいるのに、別のことに心奪われていては内容が把握できないでしょ。せっかくアフィリエイトをしているのに、集中力がないために成功できなければもったいないでしょ。そういうことですよ。

2006年7月27日 志ある者は事ついに成る

 アフィリエイトを始めた管理人には、志があります。いや、かつて志があったというべきか。「アフィリエイトの収入だけで生活する」という志が。今でも、その志を失ったわけではありません。しかし、やる気に燃えていた最初の頃に比べれば、明らかにトーンダウンしてしまっています。

 ぶっちゃけ、儲からないんだもん。そりゃあ、テンションも下がるっちゅうもんでんがな。誰も褒めてくれないんで自分で言いますけど、これでも、始めた頃は結構頑張ったと自分でも思ってるんですけどね。毎日8時間以上サイト作りに専念していたんですから。だけど、儲からなかったんだなあ、これが。

 志ある者は事ついに成るということわざがあります。しっかりした志があって、かつ途中でくじけることがなければ、必ずいつかは成功するという意味です。本当かな?嘘じゃないよね?だったら、希望が持てるかもしれません。でも、管理人の場合、「しっかりした志」という部分が微妙になっているかも?

 志は大切ですよ。漠然と、「こうなったらいいなあ」ではなく、「必ずこうなるんだ」という強い意思のもと、目的意識をもって事に当たらなければ、何事もうまくいくはずはないと思いますから。ましてや、アフィリエイトなんて仕事は、自分のやる気次第で良くも悪くもどうとでも変化するものです。

 だから、管理人も志を見失っている場合じゃありません。ことわざでも「しっかりした志」が必要といっているではありませんか。儲からなきゃあ、儲かるまでやるのみです。方法はいくらでもあるはず、要はやるかやらないかだけの問題です。管理人の場合、他に逃げ道はなく、切羽詰った状況なのですしね。

 途中でくじけることだけは、したくありません。そうなれば、それまでの苦労が水の泡になるだけでなく、志も失って、身内に迷惑をかけるだけの本当のダメ人間になってしまうから。その点、管理人の唯一の良い性格、粘着質なくらいしつこいことが役立ちます。そう、管理人はしつこいんだから、諦めたりはしませんよ。

 このことわざでは、「志ある者」は、「いつか」成功するということですが、いつ成功するかがはっきりしていないのが気がかりではあります。1ヵ月後か、1年後か、はたまた10年後かもしれません。だけど「必ず」成功するといっているのです。それを信じて、くじけないで頑張っていきましょう。志だけは忘れないでね。

2006年7月28日 凝っては思案に余る

 管理人の趣味は、読書です。といっても、漫画本が多いから威張れた趣味ではないですけどね。それで、管理人は、読んだ本を気に入ると、同じ著者の別の作品も全て集めたくなるという習性があります。漫画本セット全数十冊をまとめて大人買いなんてことをするんです。買ったときはとても満足なんですが、いざ読み出すと意外に面白くないときが多いんですね、これが。で、読まずに終わり、後悔するんです。

 このように、熱中しているときは、人間まともな判断がつかなくなっていることが多々あります。何も考えず、勢いのままに突き進んでしまうんですね。テレビショッピングなんて良い例ですよ。番組に視聴者を引き込んでおいて、「限定○名様早い者勝ち」なんてあおり、買わなきゃ損だという気持ちにさせるうまい商売です。でも、たいがい買ってから失敗するんですよね。管理人も何度過ちを犯したことか。

 凝っては思案に余るということわざがあります。物事に熱中しすぎると、かえって思慮分別がつかなくなるという意味です。う〜ん、上の例にも挙げたとおり、管理人も心当たりが多すぎて、なるほどといった感じです。少し冷静になって、客観的に物事を見るようにすることが必要なんですね。

 確かに熱中すると、人間はすごいパワーを発揮します。アフィリエイトやブログに記事を書いていても、熱中しているときはノリノリで、いくらでも進んだりしますし、時間も気にせず、いつまでも作業を続けることができたりします。あれやこれやと悩むこともなく、まさしく猪突猛進・働くマシーンのような状態です。

 それはそれで、良いことではあります。やらないよりはやったほうが、よほどましですからね。だけど、少し冷静になって、自分のしてきたことを見直してみると、「なんでこんなことを書いたんだ?」、「こりゃあ、まずいだろう」なんてところが、いくつも発見されたりします。時には、全面的にやり直しなんて事態にも。

 管理人の場合、アフィリエイトのサイトの作成を始めた際、入れ込みすぎて失敗しました。思いつくアイデアは何もかもメニューに織り込んで、気になるアフィリエイトプログラムは全て申し込んで、書いて書いて書きまくったのです。ですが、書いても書いても終わることができず、いつまでたってもサイトが公開できない羽目に陥りました。結局、途中で気がついて、大幅に軌道修正を余儀なくされたのでした。いや〜、あれは大変でしたね。

 まあ、熱中するのもほどほどにということですね。特にアフィリエイトという仕事の場合、基本的に独りきりです。指示してくれる上司も、助言してくれる同僚もいませんから、熱中して作業して気がついたら、てんで見当違いの方向に進んでいたなんてこともあり得ます。熱中する自分ともうひとり、冷静な自分を作り出すべきでしょうね。ということは、二重人格が良いのかも?って、そんなわけないでしょ。

2006年7月29日 尽く書を信ずれば則ち書なきに如かず

 最近では、アフィリエイトもメジャーな仕事になってきたのか、たくさんのアフィリエイト本が発行されていますね。アフィリエイト専門の雑誌まで登場しているくらいです。これらの本は、とても良いことが書いてあるし、読んでいるだけであたかも自分でも簡単に成功できるような気になってきます。たくさん読めば読むほど、成功に近づけるような気もします。

 本に限らず、インターネット上でもたくさんのアフィリエイト関連サイトがあります。個人サイトから企業サイトまで、さらには有料の情報商材なんてものまであります。それこそ無数に存在するので、情報を集めるのには事欠きません。もう、それらを読んでいるだけでお腹いっぱいです。

 でも、こんなことわざもあります。尽く書を信ずれば則ち書なきに如かずです。いくら立派な書物でも全部が全部、真実や心理を表わしているわけではない、それらをまるまる信じるくらいなら、そんな本はないほうがましであるという意味です。本当にその通りだと思います。昔の偉人は、良いことを言いますね。

 書を読み漁るのは、決して悪いことではありません。たくさんの情報を集めるのも、むしろ良いことでしょう。それによって、今まで知らなかった知識が身につき、見識が拡がることは確かですから。何もしないで、自分の頭の中だけで考えるよりはよほど効率的だし、自分だけでは思いつかなかった新たな発見もあるはずですしね。

 だけど、収集した全ての情報を鵜呑みにして、その通りに実行すればアフィリエイトで成功できるというものではありません。人の考え方なんて千差万別だし、アフィリエイトの成功までに至る方法も人それぞれ違うのです。情報のどれもこれも採用していては、サイトに統一感がなくなり、支離滅裂なサイトとなるだけです。

 多くの情報の中から正しいと思うものを選択して、自分なりのやり方に活かすことが重要です。つまり、最終的には自分の頭で考えて決断しろということですね。他人の言うことをまるまる信じていて、それが自分の個性的なサイトといえますか。そういうのはコピーサイトでしかなく、二番煎じでしかないのです。そして、いつまでも柳の下に二匹目のどじょうがいるわけではありませんよ。

 他人の言うことを信じるなということではありませんよ。良い情報はたくさんあることも事実だし、役立つのも確かです。だけど、自分なりに情報を噛み砕いて応用しなければ、進歩はできないということです。つまり、いろいろな情報から良いとこ取りをして、オリジナルの必勝法を編み出せば良いのです。真似するだけなら誰でもできる、そんな情報はなきに如かずということですよ。

2006年7月30日 事が延びれば尾鰭がつく

 昔、会社の上司に言われて、心に残っている言葉があります。それは、「仕事はキャッチボールと同じ。来た球を受けたらすぐに投げ返すように、仕事も回ってきたらすぐにこなして次へ廻す事が大事だよ」ということです。言われたときにはまだピンとこなかったですけど、その後身をもってその意味を知ることとなりました。

 仕事を自分のところで止めると、そこでスケジュールが遅れることになり、後に控えている人達に迷惑をかけるのみならず、納期が間に合わなくなったら、そのときに仕事を持っていた自分のせいになるのです。また、自分が仕事を持っている間にクレームでも発生した日にゃあ、全て責任から後始末まで押し付けられることにもなったのです。「こういうことか」と、後悔とともに、上司の言葉の意味を知ったのでした。

 事が延びれば尾鰭がつくということわざがあります。事が延びると、とにかくいろいろな問題が加わってやりにくくなるので、事が起きたらすぐに処理したほうがよいという戒めの意味です。言葉は違えど、このことわざと上司の言葉の意味するところは全く同じことです。そう考えれば、立派な上司だったなあ。

 このことわざの一番簡単な例は、借金をしたときです。借金を返すのが遅れれば遅れるほど、利息がついて大変なことになります。さらに遅れれば、裁判沙汰になったり、差し押さえなんていう最悪の事態も招きかねません。そうなれば、生活にまで影響が出ます。本当にいろいろな問題が加わってきてしまうのです。

 アフィリエイトでも同じことです。例えば、アフィリエイトプログラムの表示期間が終了したときです。そのときに処理しておけば、簡単に済むのに、何日も放っておけばどれが対象のアフィリエイトプログラムかわからなくなります。さらに複数のアフィリエイトプログラムが終了となったら、もう大混乱です。今の管理人がそうなので、間違いありません。とても困ったことになりますよ。

 また、サイトのタイトルロゴをわずかにミスしていたとしましょう。面倒だからと直さずにいると、そのうち忘れてしまいます。そして、間違ったままのタイトルロゴをサイト内の全ページに貼り付けてしまうのです。気づいたときには、さあ大変。サイトのページ総数は数百にもおよび、全ページのタイトルロゴの変更にはとてつもなく苦労することになります。これも、管理人は経験済みですから。

 ひとつの仕事を止めると、ドンドン次の仕事が溜まっていきます。山のように積みあがった仕事をこなすには、非常にたくさんの気力と労力が必要になります。そうなる前に、目の前の仕事はすぐにこなす癖をつけるほうが良いですよ。魚じゃあるまいし、尾鰭なんか人には必要ないんですからね。

2006年7月31日 心の仇は心

 管理人は、未だに過去の出来事で悪夢にうなされる日々が続きます。もう数年も経過するのに、忘れようとしても忘れられない、とても辛い思い出です。日中はそれでもだいぶ落ち着いた生活が送れるようになってきましたが、夢の中までは管理できません。きっと、かなりのトラウマになっているんでしょうね。

 過去の出来事について、誰かを恨むことは簡単です。他人のせいにするのは気が楽です。だけど、そんなことは考えたくありません。そんなことを考えるようになったら、自分で自分のことが嫌いになり、自己嫌悪に陥るだけですから。それに、そこまで性根の腐った、卑怯な人間にはなりたくないですから。でも、夢の中では、管理人は嫌な人間です。

 本当はわかっているんです。全ての苦い思い出は、自分が悪くて起こったということはね。踏ん張るべきときに踏ん張ることのできなかった自分が、逃げ出してしまった自分が悪いんです。やるべきことをしてこなかった自分が、自分の気持ちに正直になれなかった自分が悪いんです。

 心の仇は心ということわざがあります。自分の心を傷つけるものは、自分の迷った執念に他ならないという意味です。とても意味の深いことわざです。また、厳しいことわざでもあります。だけど、きっとそうなんでしょうね。正しいことを表わしていると思います。全ては、自分の心次第であるということですね。

 他人に心を傷つけられることはあるでしょう。でも、そんな嫌なことは忘れてしまえばいいんです。いつまでも、覚えているから心を傷つけ続けるんです。それは、自分が恨みに思っている執念がそうさせているわけです。結局、自分の心にこそ原因があるといえます。まあ、人間そんなに簡単に気持ちを割り切れるものではないでしょうけど。

 管理人も、いつまでも過去の出来事にこだわっている小さな人間です。自分でも意識しない醜い執念が、トラウマを生んでいるのでしょうね。それは未だに、心を傷つけています。もう忘れなくてはいけません。しょせん過去は過去、過ぎたことを悔やんだところで何も良いことなどありはしないのですから。

 嫌な過去を忘れる最も良い方法は、今現在に楽しいことを見つけることだと思います。心が満たされていれば、人間寛大になりますから、過去の出来事など許せる気持ちの余裕ができるからです。現金なもので、楽しければ、わざわざ嫌な昔のことなど思い出すこともないでしょう。心の仇は心です。自分の心を傷つけるのは、自分なのですよ。

2006年8月の日記
2006年8月1日 言葉は心の使い

 この日記では好き放題なことを書いている管理人ですが、他人に正面向かって会話すると思ったことも口にできない小心者です。その代わり、どうも顔には現れやすいようで、結局考えていることがバレバレのようです。それに、気に入らないことがあれば、極端に口数が少なくなりますしね。

 言葉は心の使いということわざがあります。心の中で考えて思っていることは、自然に言葉に表れるという意味です。その通りでしょうね。管理人も日記を書くにあたって、ついつい本音を書いてしまいますもんね。特にたくさんの文章を書くと、隠そうとしても隠しきれるものではないようで、読んでくださっている人達には良くも悪くも管理人の本性がまるみえだと思います。

 ということはですよ。いくらきれいな言葉で飾ったところで、言葉にすれば書いた人の考えていることは、自然と節々に表れてしまうということです。嘘八百並べて、商品を売りつけようとしたところで、儲けたいオーラを発しているわけです。それじゃあ、買うつもりの人だって敬遠しちゃいますよね。

 だから、サイトで文章を書くのなら、やはり正直な気持ちを隠さず伝えたほうが良いと思います。まあ、アフィリエイトプログラムの紹介なら多少のセールストークも必要でしょうけど、ブログを書くなら特にそうです。管理人も、いろいろなブログを読んでいますが、読んでいて気持ちの良いブログとそうでないブログの違いは、やっぱり作者の気持ちが素直に伝わってくるかどうかによるような気がしますからね。

 それに、読者に対して心を開くということは、読者との距離が近くなるということです。そうなれば、文章に共感をもってもらえるのではないでしょうか。会話でもそうでしょう。親身になってはなしを聞いてくれて、優しい言葉をかけてくれたり、ときには厳しいアドバイスをしてくれたりする人のほうが親近感がもてますよね。表面的な言葉だけで心のこもっていない人とは、疎遠になりますよね。それと同じです。

 ただし、ひとつだけ気をつけることがあります。いくら考えていることが言葉に表れるからといっても、他人を攻撃するような言動だけは注意して避けるべきだと思います。それは、読んでいて気持ちの良いものではないし、敵を増やすことになりかねません。また、インターネットのような公共の場にそのような文章を公開するのは、常識外れです。やられたほうの身になって考えてください。自分だって、されたら嫌ですよね。言葉の暴力です。

 結局のところ、言葉にはその人となりが表れるということですね。だからといって、言葉を発するのを、ブログを書くのを躊躇することはありません。本音で付き合ったほうが、本当に親密な関係になれると思いますから。管理人の場合、決して褒められた性格ではありませんが、開き直って書いています。だって、言いたいことを言えないとストレスが溜まりますもんね。それで嫌われたって、たいしたことではありませんよ。少し心に傷がつくくらいです。って、気にしてるやん。

2006年8月2日 最後に笑う者の笑いが最上

 管理人だってこれまで無駄に年齢だけは重ねてきましたから、人生いろいろありました。そりゃあそうですよね、曲がりなりにも生きてきたのですから。笑ったこともありました。泣いたこともありました。ここ数年は、すっかり笑いを忘れて、泣いてばかりの日々ですけれどね。それもそのはず、失敗と挫折の繰り返しばかりですから。世知辛い世の中ですよ、まったく。

 だけど、管理人の人生は、まだまだ終わったわけではありません。まあ、風前の灯ではありますけれども。これから良いことが起きる可能性だってあるのです。今は失敗ばかりですが、これから成功することも無きにしも非ずです。負け組から勝ち組へ変われることだって有り得るわけです。たとえ宝くじ並みの確率だとしてもね。

 最後に笑う者の笑いが最上ということわざがあります。あまり気早に喜ぶものではない、最後の勝利を収めた者が会心の笑いを漏らすものであるという意味です。「始めの勝ちはくそ勝ち」とまでいうくらいだそうです。そういわれると、管理人も気が楽です。まだまだ勝負はついてないって思えますから。

 最後というのがいつなのかはっきりしませんけど、最後=最期なら、死ぬときに笑えればそれが最上ということですね。そうですよね、せめて最期のときくらいは笑える人生でありたいものです。そうなるように、たとえ苦しくても、つらくても、しんどくても、一所懸命生きていかなくてはならないと思います。

 逆にいえば、最後に勝利できるのなら、途中の過程はどうでもいいわけです。どうでもいいっていうのは言い過ぎかもしれませんけど、何度失敗しようと挫折を繰り返そうと、最後まで諦めなければチャンスは続くということです。負け惜しみかもしれませんが、「始めの勝ちはくそ勝ち」だと思っていれば、そんなに失敗も挫折も怖くないはずです。

 とはいうものの、日常から笑って過ごせるならそれに越したことはありませんけどね。同じ人生なら、泣いてばかりいるよりも笑っていたほうが良いに決まってますもん。笑う門には福来るともいいますし、笑って暮らせるのは幸せなことです。最後まで笑っていられれば言うことなしです。まあ、それができないから悩んでいるんですけどね。

 今は勝利にも程遠く、会心の笑みどころか、作り笑いが精一杯の管理人です。しかし、それでも生きているんですから、最期まで何が起こるかわかりませんよ。そのためには、勝つための努力をしなければいけませんけどね。過度の期待はしませんけど、何とかなるんじゃないかな。何とかしたいな。何とかして下さい。

2006年8月3日 権兵衛が種蒔きゃ烏がほじくる

 年々インターネットは便利になっていきますね。ブロードバンドが一般化してきて、時間を気にせずいつまででも利用できるようになりました。さらには、会社では仕事にインターネットは欠かせず、学校では小学生から授業で取り上げられるくらい、利用者の幅も拡がっています。便利になって、本当に良いことです。

 ですが、インターネットの進歩に比例して、それを悪用する人達も急増しています。まず、ウィルスは一般利用者にとっても脅威となってきました。昔のウィルスは個人のパソコンに侵入していたずらするような愉快犯のようなものでしたが、最近は個人情報を盗んだり、それを使ってお金を騙しとるように悪質化しています。今や、ウィルス対策は個人でも必須になってしまいました。

 また、増える一方の迷惑メールの数々。他人の迷惑を顧みず、自分さえ儲けられればいいという自分勝手な考えの人達が、メール送信が無料になったのをいいことに、好き放題やっています。中には、ワンクリック詐欺なんて悪質なものまで登場しました。こんなだから、本来なら必要のない法律の規制が入ってしまうのです。

 さらには、掲示板への悪質な書き込みです。匿名なのをいいことに、見るに耐えないような暴言が頻発して、気分が悪いです。そんなに文句があるなら無視すればいいのに、それでも書き込まずにはいられないのでしょうかね。こんなことが続けば、インターネット実名制度が導入されることにもなりかねません。

 そして、アフィリエイトの世界も例外ではありません。無駄だとわかっていないのか、掲示板やブログへの宣伝の書き込みが目立ちます。また、サイトの内容そっちのけで、検索エンジン上位表示ばかりに躍起になっているサイトも多いです。こんなことでは、アフィリエイトをしていない一般の人達にとっては、アフィリエイトとは迷惑なものだと思われてしまいます。せっかくのアフィリエイトというすばらしい仕事が台無しです。だから、大手検索エンジンではアフィリエイトサイトを排除するという噂まで出ているのです。

 権兵衛が種蒔きゃ烏がほじくるということわざがあります。権兵衛というお百姓さんがせっかく種を蒔いても、すぐさま烏がほじくってしまうことから、人が骨折ってしたことを、すぐ後からぶち壊すという意味です。インターネットでいえば、せっかく技術進歩という新しい種を蒔いても、後から心ない人達によってぶち壊されるといったところでしょうか。

 悪事を働く人達はわかっているのでしょうか。自分で自分の首を絞めているということに。そりゃあ、様々な人間がいますから、全員が全員、善人だとはいいません。しかし、他人に迷惑をかけないのは人として最低限のマナーでしょう。小学校の道徳で習ったはずです。インターネットを棲みよい環境にするためにも、ひとりひとりが道徳を守りましょう。まずは、自分からですよ。

2006年8月4日 ごまめの歯軋り

 世の中って、理不尽なことが多くて嫌になりますよね。だって、お金持ちは何をやってもお金持ちだし、色男は何もしなくてもかっこいいし、頭の良い人はどうしたって賢いんですよ。何も標準装備していない管理人にとって、悔しい限りです。ほんとにもう、責任者出て来いって感じですか(何の責任者だか)。

 管理人の苦手な人付き合いにしたってそうですよ。普通の人は何も意識して行動しなくたって、人間関係がスムーズにいくんです。管理人なんか、気を使って、顔色をうかがって、おべっかを言って、人並み以上に努力してもなかなかうまくいきません。そんでもって、もう疲れたから無口になると、こわもての顔が災いして、人が遠ざかっていくのです。もう、イライラするやら情けないやら、やってられませんよ。

 ごまめの歯軋りとはことことです。ごまめとは、ごく小さい鰯を日干しにしたものです。無力のごまめが悔しがって歯軋りをする、力の及ばないものがやたらといらだたしげに憤慨する様子のことを意味します。管理人なんて、本当に無力なごまめに過ぎません。独り、イライラするしかできないのです。

 現在仕事にしているアフィリエイトだって、決してうまくいっていません。ちっとも儲かっていないし、根本的な問題としてアクセス数が少なすぎます。仮にも二年以上サイトを運営してきたのにこのていたらく、まったく困ったものです。いらだたしくて憤慨するのを通り越して、呆れてしまいます。

 ただ、力が及ばないとは思いたくありません。力が及ばないと考えるということは、自ら負けを認めることになります。負けを認めてしまったら、努力しても無駄という考えに至り、何もしなくなるので、それ以上の成長は見込めません。気持ちが萎えてしまえば、そこで終わりなのです。

 だから、管理人は絶対に負けは認めません。たとえ、往生際が悪いといわれようとも。悔しくて憤慨してるうちは、まだ大丈夫なんです。もっと頑張って、上の者に追いつこうという気持ちが残されているのですから。ただし、ふてくされているだけでは問題は解決しませんので、努力は必須ですけどね。

 お金持ちや色男や頭の良さは、さすがに努力しても限界があるでしょう。でも、アフィリエイトなら努力次第で成功することは可能だと思います。たとえ無力なごまめだとしても、努力を継続すれば何が起こるかわかりませんよ。歯軋りしながらでもいいから、石にかじりついてでも頑張りましょう。とにかく、丈夫な歯(固い意思)が重要ということですね。

2006年8月5日 才子才に倒れる

 管理人は、才能とは無縁の人です。勉強も運動もそんなにひどかったわけではないですけど、飛びぬけて良いというわけでもありませんでした。そんな管理人も若かりし頃は、「俺って天才なんでは?」なんて大きな勘違いをしていたものですけどね。若さゆえの無知というのは、恐ろしいものです。

 アフィリエイトをしている現在、ことお金儲けに関する才能は本当にないなあと痛感しています。サイトのデザインにしても、内容にしても、ありきたりで凡人の発想しかできません。その結果、費やした時間の割にはちっとも儲けることができていないし、後からできたサイトにはドンドン追い越されるし、いいところなしです。

 才子才に倒れるということわざがあります。才能に優れた人は、自分の才能に頼りすぎて、かえって失敗するという意味です。そうなの?それは本当なの?だとしたら、才能のない管理人のほうが成功しやすいの?そういうことなら、管理人は才能がなくてよかったと思えますけどね。

 確かに、才能に優れた人は、何をするにしても最初からそこそこできてしまいますから、努力をしない人が多いのかもしれません。また、自分に自信を持っているから、他人を見下す傾向にあり、教わるという謙虚な気持ちが足りないかもしれません。そういう意味では、このことわざは正しいかもしれません。

 だけど、才能のない者のひがみかもしれませんけど、才能がないよりはあったほうが良いに決まってます。同じだけ努力するのなら、才能がある人のほうがその分有利なのは間違いありませんもんね。自分の才能に溺れるような人は、しょせん本物の才能ではないのだと思います。なぜなら、努力できるという才能が欠如しているのですから。

 だから、才能のない管理人のような人種は、成功しようと思うのなら才能に優れた人以上に努力が必要です。才能に優れた人が失敗するのを期待するわけにもいきません。それこそ、アフィリエイトでいうなら、どんな手を使ってでも儲けるというひたむきさがなければならないでしょう。だからといって、悪事を働いてはいけませんけどね。

 才能があると思っている人は、下手なプライドは捨てましょう。それが、成功の妨げとなっているのですからね。才能のない人は、はなからプライドなど持ち合わせていませんから、どんなことでも貪欲に吸収できます。このことわざの言わんとするのは、その差のことではないかと思います。でもね、本音としては、失敗してもいいから才能は欲しいですよね。

2006年8月6日 健康は富に優る

 わたしは、残りの人生をのほほ〜んと暮らしたい。できる限り楽しいことだけを考えて、ゆっくりと暮らしたいと考えています。今はまだ、実現できるめどは立ちませんけれど、それを目標にします。思えば、これまでずいぶんと生き急いできたものです。もう、十分です。これからは、自分のために生きても良いでしょう。

 いくらお金を稼ぐためとはいえ、体を壊してまで、心を壊してまで、会社に尽くす必要がありますか。会社なんて、冷たいものです。建前上、多少のお金は支給してくれても、壊れた体の、壊れた心の責任など一切とってはくれません。それまでどれだけ一所懸命働いてこようと、壊れた部品はポイ捨てです。そして、捨てられた人間のその後の人生などおかまいなしです。

 体を壊すだけなら、まだ復帰するチャンスはあるでしょう。だけど、心が壊れたら二度と元に戻らないか、元に戻るまで相当な時間がかかってしまいます。心の中には絶望しかなく、生きているのも嫌になってしまう気持ちが延々と続くのです。そして、新たな生きる方法もなかなか見つけられません。心の壊れた人間を雇ってくれる会社などほとんどありはしないのですから。

 そこまでして、お金持ちになりたいですか。確かに、お金があったほうが豊かな暮らしができるのは認めます。だけど、苦しい思いをして、一生を棒に振ってまでお金に執着することはないと思います。贅沢はできなくとも、普通に暮らしていけるだけのお金が入ってこれば、それでいいのではないでしょうか。最近は、そう考えるようになりました。

 敗者の戯言に過ぎないかもしれません。負け犬の遠吠えでしかないのかもしれません。そうとらえてもらっても、構いません。事実そうなんですから。でも、全てを失った体験者の、現在の正直な気持ちであることもまた事実なのです。健康を失ってから気づいても、遅いんですが。

 健康は富に優るということわざがあります。どんなにお金持ちでも健康でなければ、楽しい生活も充実した幸福な人生も送ることができないので、何にもならないという意味です。本当にその通りです。健康があってこそ、お金を有意義に活かせるのです。お金だけあっても、楽しく過ごせないのであれば、何のための人生でしょうか。

 だから、多少貧しくてもいいし、早死にすることになってもいいです。今後の人生は、健康の回復を図りつつ、楽しく生きることを目指します。もう、心に負担のかかるような辛いことや苦しいこと、しんどいことはたくさんです。わたしは、残りの人生をのほほ〜んと暮らしたい、ただそれだけです。

2006年8月7日 歳月人を待たず

 いや〜、時の経つのって速いものですね。ついこの間までランドセルしょったちびっ子だったはずなのに、今や立派なおっさんですもんね。気をつけないと、加齢臭まで発するくらいですよ。気だけは若いつもりでいても、体が脳がそれを許しません。精神年齢だけは、いつまでたっても幼いんですけどね。

 毎日毎日一所懸命遊んでいた子供の頃も時間があっという間に過ぎていきましたが、現在のダラダラした生活でもやっぱり月日は待ってくれませんね。ぼやぼやしていると、いつの間にか一週間、一ヶ月、一年が経過しています。その間に何をしたのかというと何もしておらず、ただ食っちゃ寝のごくつぶしです。成長したのは脂肪だけってね。

 歳月人を待たずということわざがあります。年月の流れというのはとても速くて人を待ってはくれない、だから今という時を大切にして努力せよという戒めのことわざです。う〜ん、確かにその通りなのですが、一度堕落した生活に慣れてしまうとなかなか脱却できないんですね。これでは、完全なろくでなしですけど。

 でも本当にそうですよ。思い返せば生まれてから今日までの三十数年なんてすぐでしたからね。気がついたら、人生の半分を過ぎていました。このままいけば、生きた証を何も残せぬままいつの間にかおじいちゃんになっているかもしれません。もっとも、それまで生きていられればの話ですけどね。

 「面倒だから明日やろう」という考えがいけません。じっくり考える時間を取るという意味では良いかもしれませんが、「面倒だから」という理由で今日できることを先延ばしにしてはダメなのです。そうやって自分に甘えていると、明日があさってになり、一週間後になり、そのうちやらなくなってしまいますから。と、経験者の管理人は語ります。

 人間何が起こるかわかりません。もしかしたら、明日には事故にあって死んでしまうかもしれないですし、突然の病に倒れるかもしれないんです。「縁起でもないことを言うな」といわれそうですけど、万が一ということがあります。そしたら、やるべきことをやっていなかった後悔が残ってしまいます。とても楽しいことだったのかもしれないのに。

 だからこそ、今という時を大切にして努力せよというのは、正論だと思います。過ぎてしまったことは仕方ありません。今からでも、そう考えて行動を改めることが大事でしょう。とにかく、何をしてもいいから時間を無駄にしないことですね。歳月人を待たずです。せっかくの人生ですから、生きてきてよかったと思えるような時を過ごしたいですね。

2006年8月8日 雑魚の魚まじり

 管理人の弱点として、コミュニケーション能力の低いことがあります。性格上、気が小さいく、人見知りが激しいしいのでなかなかうまくコミュニケーションがとれません。別に人と話すのが嫌いなわけではないのですが、むしろ好きなのですが、こんな性格だから人の輪の中に入っていけないのでした。

 こんな管理人だから、会社でうまくやっていけるはずもありません。なんせ、上司や同僚と挨拶するだけで緊張するは、電話が鳴るだけでビクッとするはですからね。また、こんな管理人にも部下がいたのですけど、親交を深めようと飲みに誘うのでも、「いつ誘おうか」、「嫌がられないか」なんて気にして、そりゃあもう何日も前から悩む羽目に陥ったものです。

 会社でうまくやっていくには、人間関係の構築が不可欠です。普通の人にはスムーズにできることなのに、コミュニケーション能力に劣る管理人にはそれが大問題でした。結局、それが災いして会社内で孤立することになり、管理人にとって会社生活はとても苦痛でしかありませんでした。しょせん管理人は、不器用で社会生活に適合できない不相応な人間だったのです。

 雑魚の魚まじりということわざがあります。名もない小魚が大きな魚の中に混じっている様子から、能力のある人達が大勢いる中に、不相応な人間が混じっていることを意味します。社会生活の中における管理人がまさにこれです。管理人は雑魚でしかなく、本当につまらない人間です。

 だけど、こんな管理人だって、生きていかなければなりません。生きていくためには、お金を稼がなくてはなりません。そこで、社会生活には不相応だった管理人がすがったのが、パソコンを使った仕事をすることです。パソコンであれば多少は扱えるし、コミュニケーション能力が低くても何とかなると考えたからです。そして今、アフィリエイトを主とする仕事をすることに至ったのです。

 アフィリエイトの世界でも、大きなサイトに比べれば、管理人のサイトなどまだまだ雑魚にしか過ぎません。ですが、今までのような息苦しさは感じません。何とかやっていけるのではないかと思っています。さすがに生活できるほどの収入を得るまでには時間がかかりますけど、実現できるかどうかさえ定かではないですけれど、それでも以前より希望が持てるようになりました。

 今は雑魚でも、能力を身につけていけば、大きな魚に成長できるはずです。アフィリエイトなら、自分の努力次第で、いくらでも能力をレベルアップさせることができるのですから。そうなれば、不相応な人間ではなくなるのです。社会生活にはうまく適応できなかった管理人ですが、パソコンを使った仕事ではなんとか生きる道を見つけたいです。そのためには、頑張らなくちゃね。

2006年8月9日 鹿を逐う者は山を見ず

 「お金が欲しい!」と思うのは、人間誰しも同じです。管理人だって同じです。だけど、お金を増やすことばかりにこだわっていると、思わぬ落とし穴が待っています。お金に目がくらむとはよくいったもので、目の前にお金を積まれたら、冷静な判断ができなくなるのではないでしょうか。

 例えば、有名病院の院長や公務員、議員の偉いさんが、わずかなお金の汚職で捕まったりします。冷静に考えれば、不正をしてまでそんなわずかなお金をもらわずとも、まじめに勤務していればそれに数倍する給料や退職金ががっぽり入ってくるはずなのに、それがわからなくなるんでしょうね。富も名声も権力も、仕事さえ失うというのに。

 また、目先の儲けばかりを考える他の例としてギャンブル依存症があります。目の前の勝ちにばかりこだわるあまり、借金してまでギャンブルにはまっていってしまう人達がいます。落ち着いて考えれば、そんな莫大なお金が儲かるわけでもないのですから、生活を犠牲にしてまでギャンブルをする意味が無いのは誰が見ても明らかです。でも、欲望を抑えきれないんです。そう考えると、お金って怖いですよね。

 鹿を逐う者は山を見ずということわざがあります。鹿を捕らえようとして追い回している者は、鹿ばかりに気を取られて山全体を見ようとせず、山の深さも忘れて危険な目に遭うということです。このことから、目先の利益を得ることに夢中になっている者は、他の事情には気づかないという意味です。まさしく、上の例の通りです。

 インターネットの世界でもそうですよ。止むことのない迷惑メール、増える一方の詐欺事件も、目先の利益に目がくらんだ人達の行う蛮行です。インターネットの世界では相手の顔が見えないから、悪いことをしているという自覚に乏しいのかもしれません。ですが、これらは立派な犯罪です。絶対にやってはならない行為です。

 犯罪ではないにしても、アフィリエイトでもやりすぎは禁物です。お金儲けにこだわればこだわるほど、周りの状況が見えなくなるものです。他人の迷惑を顧みず、ブログに大量の無関係なトラックバックをしてみたり、大げさな嘘で訪問者を騙したりすることは、訪問者の不信を買い、逆に誰も訪れてくれなくなります。いわば、自分で自分の首を絞めているようなものです。なのに、それに気づかないのです。

 そりゃあ、お金がたくさんあったほうが嬉しいのは確かですけど、お金に踊らされて、人生を棒に振るのは愚かなことだと思います。利益を追求するのは良いですが、危険な目に遭わないために、身の回りの状況にも気を配るべきです。お金なんて、ほどほどにあればいいじゃないですか。そう思いませんか。おっと、これは管理人の負け惜しみかな?

2006年8月10日 しくじるは稽古のため

 ついてない時期ってありますよね。管理人がまさに今、その真っ只中です。何をしても失敗ばかり、さすがにうんざりしています。つきとか運とかのせいにしたくはありませんけど、これだけ失敗続きだとそう思いたくもなるってものです。だから、管理人は近頃、少し(かなり?)凹み気味です。もう疲れたよ〜。

 失敗する原因が自分にあることは、誰よりも管理人自信がわかっているんです。やるべきことをやっていない、適切な判断ができていないから失敗しているんです。後から落ち着いて考えれば反省点はいくつもあるのですが、やっている時点では事に入れ込みすぎて気づきません。気づいた時には、後の祭りってやつです。

 しくじるは稽古のためということわざがあります。失敗するのはいつか成功するための稽古を積んでいるようなもの、失敗を重ねて初めて成功することができるという意味です。こう考えれば、管理人の失敗続きも悪いことではないような気がしますね。少し気が楽になれたように思います。

 ただし、最初から失敗するのがわかっているのに、わざわざそれにはまることは馬鹿げています。やっぱり、失敗しないように最新の注意を払ってから、事を始めるべきでしょう。それで失敗するのであれば仕方のないことです。その失敗は、ことわざどおり、次につながる失敗といえると思います。

 また、失敗しても、反省しなければ意味がありません。同じ失敗を繰り返すようでは、成功へ近づくことはできませんからね。なぜ失敗したかよく考え、悪いところは素直に修正することが大切です。稽古だって、ただ闇雲にひたすら繰り返すだけでは上達はしません。それと同じことです。

 何もしなければ、失敗することはないでしょう。失敗しなければ、傷つくことも、悔やむこともしなくて済みます。「それなら安心だ」と思っていてはダメですよ。何もしなければ失敗しないかわりに、成功することもまた絶対にありません。事なかれ主義では、前に進むことはできないのです。

 確かに失敗することは怖いです。嫌です。経験したくないです。そりゃあそうですよね。誰だってそう思うでしょう。だけど、どんなに慎重に事を進めても、失敗するときはあるのです。そのときに、毎回落ち込んでいては体が保ちません。しくじるは稽古のためと考えましょう。ポジティブシンキングで、ハッピーライフをエンジョイですよ。ね!

2006年8月11日 沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり

 夏本番真っ盛り、生き物の最も活性化する生命の息吹に溢れた季節ですね。それなのに、管理人の心は沈んだままです。何もする気が起きず、何をしても楽しいと感じられません。まるで生きる屍の如しです。まったく、何のために生きているんでしょう?まあ、そんな気持ちは今に始まったことじゃないし、夏に限ったことでもないんですけどね。

 管理人がこんな風になるような悪いことを何かしたとでもいうのですか?ああっ、わかってくれとは言わないが、そんなに俺が悪いのか♪なんてチェッカーズの歌のような気分です。あまりにもひどい仕打ちです。確かに、何もしない、何も変えようとしない自分が悪いんですが。それでもねえ。こうなりゃあ、堕ちるところまで堕ちてしまおうかと考えてしまいます。

 沈む瀬あれば浮かぶ瀬ありということわざがあります。人間、苦境に陥ることもあれば逆に栄えることもあって、人の運命の盛衰は定まるものではないという意味です。本当にそうでしょうか?誰がいつ確かめたの?いい加減なことをいわないでください、責任者出て来〜い、なんて小学生のようなことを言ってみたりして。

 でも、心の中では、このことわざが本当であって欲しいと切に願っています。そうとでも考えなければ、希望もへったくれもありゃあしませんからね。今が管理人の衰退している時期だとすれば、次は盛り上がる運命のはず。って、そんな順番どおりに運命が変わるなんてことわざでは言ってませんけどね。もしかしたら、この後ずっと悪い運命が続くのかも?それだけは勘弁して下さい。

 ただ、何がきっかけで運命が変わるかなんてわからないのです。ほんのちょっとしたことで、劇的に好転することも有り得るはず。たとえ可能性がとてつもなく低いとしてもね。今の管理人は、それを期待するしかないのかもしれません。そうならなければ、このまま朽ち果てていくだけのこと、たったそれだけのことです。

 だけど、何もしなければ運命の変わるきっかけさえないわけです。せめて、きっかけになるような行動を起こす必要はあるでしょうね。辛いからといってふてくされて、現実から逃げてばかりでは何も変わるはずはないのですから。行動してみて、成功するか失敗するかは神のみぞ知るです。

 人の運命なんて、良かったり悪かったりすると思います。今は、たまたま悪い時期にいるだけ、そう思いたいです。勝ち組、負け組というけれど、そんなものは他人に決められるものではない、自分で負けを認めなければ負け組じゃないんです。管理人もここしばらく沈んでいますが、死ぬまでにはもう一花咲かせて浮かびたいですね。沈んだままでは溺れちゃいますから。

2006年8月12日 知った道に迷う

 管理人はパソコンが得意です。いや、得意だったというべきかな。ずっと、得意のつもりでいました。だけど、最近のパソコンの複雑さには、おじさんついていけないよ〜。昔なら、自分でプログラムを組んだり、使い易い様にいじったりできたんですけどね。近頃のパソコンは、ほとんどブラックボックスで中身がわからず、指示されたことを入力するだけです。

 知ったかぶりしてるのがいけないんでしょうね。へたにパソコンが得意だと思い込んでいるだけに、少し説明を読んだだけでわかったような気になっています。本当は理解していないのに。また、説明も読まず、自分のわかった範囲内だけの方法で操作しているようでは、進歩するはずもありません。

 知った道に迷うということわざがあります。よく知り尽くしていることで失敗することがあるというたとえ、得意のことでかえって失敗するという意味です。そうなんです。変に慣れてしまうとそれが絶対正しいと思い込んでしまい、自分の間違いを認めようとしないから、失敗することが多いんですね。

 やっぱり、向学心が大切ですよね。得意な分野だからこそ現状に満足せず、貪欲に知識を吸収していかなければ、技術が向上するはずもないのです。得意だからと慢心して勉強を怠れば、それが災いしていつか失敗することになるでしょう。自信を持っているだけに、失敗した時のショックは大きいですよ。

 ましてや、近年のパソコンやインターネットの技術進歩は、目を見張るものがあります。少しでも情報収集から離れていると、あっという間にわからないことがたくさん発生します。常に新しいことに挑戦すべきです。古い技術だけでもしばらくなら何とかやっていけるものの、せっかく便利になった最新技術を使わないのは宝の持ち腐れです。

 それに、得意だと思っていることに限って、かえって常識に縛られて自由な発想ができないっていうこともあります。パソコン初心者で、アフィリエイトも知ったばかりという人のほうが、独創性に優れたサイトを作り、成功することもあるのです。まっさらなところに知識を蓄えていくんですから、そりゃあ成長も早いですよね。

 無知なのは恥ずかしいことではありません。わかったフリをして、勉強をしないことのほうがよほど恥ずかしいことです。よく知り尽くしていること、得意なことは、自分が好きだからそうなったはずです。だったら、知識を深めることは喜びでしょう。もう一度、初心に戻って得意なことを極める楽しみを思い出すとよいと思います。管理人も、そうしなくちゃね。わからないのは、決して年齢のせいだけではないはずですから。

2006年8月13日 死中に活を求める

 「お前はもう死んでいる」と北斗の拳のケンシロウに言われるまでもなく、管理人はずいぶん前から死にかけています。八方ふさがりの打つ手なしで、既に死に体です。もう何をすればいいのか、わかりません。どうすれば生き返るのか、わかりません。ただただ惰性で生きるのみ、生きているのではなく死んでいないというだけです。

 他人のせいにするつもりは毛頭ありません。こうなった原因は、紛れもなく自分自身にあります。これまで生きてきた間に犯した数々の悪行の報いが、現在の状況を招いたのです。もし言い訳があるとするなら、管理人の心が弱すぎたということです。でも、それを含めての管理人という人間ですから、言っても仕方のないことです。

 死中に活を求めるということわざがあります。ほとんど死にそうになったところで、やっと生きる道を発見する、助かりそうもないところで、ようやく逃げ道を見出すという意味です。実際にそんなことができたなら、どんなに良いことか。夢でもいいから、そんな道を見つけたいものです。夢じゃあダメか。

 しかし、現実はそんなに甘くありません。ほとんど死にそうになれば、もうどうでもよくなり、生きる道など探す気力も残っていません。助かりそうもなければ、自暴自棄になり、逃げ道など見つけられる余裕もありません。だって、管理人がそうですもん。そんな簡単に道が見つかるのであれば、悩んだり、苦しんだりはしませんよ。

 実は、もっとも簡単な逃げ道はひとつだけあります。あえてそれは、書きません。最も卑怯な逃げ方でもありますから。だけど、心の中には常にこの考えがあることも事実です。それでも、これだけは実行してはいけない、それだけはわかっています。自分だけならともかく、周りの人間にまで迷惑をかけることにつながるからです。

 死中に活を求めるためには、決して諦めない心が必要だと思います。どんなに苦境に立たされようとも、落ち着いて状況を判断し、頭を働かせて、何が何でも生きるという強い意思が必要だと思います。現状に埋もれたまま何もしないのではなく、とにかく前向きに行動する気力が必要だと思います。

 今の管理人には、そのどれもが欠けています。それじゃあ、生きる道も正しい逃げ道も発見できるはずがありませんね。わかってはいる、わかってはいるのですが、人の気持ちはそんなに簡単に切り替えられるものでもないんですよ。何とかしなければという気持ちとは裏腹に、何にもできない自分もいるのです。どうしたものか、どうなるものか、今はまだ答えは見つかりません。

2006年8月14日 地獄は壁一重

 管理人は特別まじめだというわけではありませんが、犯罪だけは犯したことがありません(当たり前だ!)。妙なところで律儀ですから(小心者とも言います)、規則は大抵きちんと守ります。それに、「他人に迷惑をかけることだけはしない」と考えていますので、悪いことはしたくないのです。

 そりゃあ、聖人君子ではありませんから、必ずしも正しいことだけをしているわけではないですよ。仕事をサボったり、約束を守らなかったり、嫌なことから逃げたりなどすることは往々にしてあります。だけど、人様から後ろ指差されるような行為だけはしていないと思っています。それが、管理人の唯一の誇りです。

 地獄は壁一重ということわざがあります。正しい道を一歩踏み外すと、たちまち罪悪を犯すようになる、ちょっとした心の緩みで罪悪を犯しやすいというたとえです。そういうものかもしれませんね。正しい道がどんなものかは管理人にもはっきりわかりませんが、少なくとも自分が信じた正しい行いを裏切ってはいけません。

 例えば、交通ルールです。飲酒運転が悪いことだというのは、誰だって知っていることです。ところが、「これくらいなら大丈夫だろう」という心の緩みがあるといけません。ほんの少しのお酒でも体調によっては、とても酔うこともありえます。そして、それが大事故につながることだってあるのです。とんでもない罪悪になり得るのです。

 アフィリエイトだってそうですよ。最初はみんなまじめに仕事をしているはずです。ところが、宣伝行為がだんだんエスカレートして、他人のブログに宣伝するようになり、掲示板に無差別に書き込むようになり、最後にはスパムメールを多発するところまでいってしまうことがあります。「みんながやっているんだから、まねしよう」という軽い気持ちが、油断の始まりです。

 やってはいけないことは、確実に存在します。それは、何があろうと守らなければならないと思います。それを破ることは、他人に多大な迷惑をかけるだけでなく、いつか自分にも跳ね返ってきます。地獄は壁一重ということわざには、罪悪を犯せば自分が地獄を見ることになるという意味もあるのではないでしょうか。

 心の緩むことは、誰にだってあります。緊張しっぱなしの生活なんて、息苦しくて大変です。だけど、どんなに心が緩んでも、最低限の理性だけは残しておきましょう。罪悪を犯してからでは遅いのですからね。まあ、こんなことは言われなくったって、心の中では誰でもわかっていると思います。ただ、油断大敵ですよ。

2006年8月15日 湿を悪んで下きに居る

 しつこいようですが、管理人は人付き合いというものが苦手です。どれくらい苦手かというと、知り合いを遠くから見つけたら、わざわざ見つからないように、遠回りしてでも別の道を探して顔を合わせないようにするくらいです。へたに声をかけて、気まずい雰囲気になるのが怖いから。はなから相手に嫌がられていると思い込んでいるんですね。被害妄想もいいところです。

 こんなことではいけないということはわかっているのです。でも、意識すればするほど行動はギクシャクするようになり、相手の言葉に過剰に反応して余計に墓穴を掘るのです。ありのままの自分を見せれば良いとは思うのですが、自分に自信がないからありのままの姿を見せると嫌われるのではないかという考えが先行し、つい引っ込み思案になってしまうのです。

 そんな管理人の悪癖もますますひどくなり、最近では人に会うことすら避けているような状況です。外出することが少なくなり、自室に引きこもりがちの生活が続いています。大勢でいるより独りきりでいるほうが気が楽だと自分を無理矢理納得させ、自分の行動を正当化しようとしています。

 寂しさを感じないわけではありません。むしろ、とても寂しいです。管理人だって人の子、他人と愉快に付き合うことを望む気持ちはみんなと同じです。人間嫌いの偏屈じじいというわけではありませんからね。でも、仕方ないじゃないですか。普通の人のようにうまく人付き合いができないんですから。嫌われるくらいなら独りのほうがましと思うのはダメな考え方でしょうか?

 湿を悪んで下きに居るということわざがあります。湿気が多いところを嫌がるくせに、それでも低い湿気の多いところにいる様子から、悪いと知りながら抜け出すことが出来ず、なお悪いことをしているたとえです。管理人のしていることそのものです。まるで管理人に向かって放たれた言葉のような気がします。

 悪いと思っているなら、そこから抜け出す努力をしなければいけません。なお悪いことを続ければ、状況は良くなるどころか、逆に悪くなるのは当然です。悪いことに慣れてしまえば、抜け出すのがドンドン困難になるのですから。仕方ないの一言で済まして自分をごまかしていては、何も解決しません。

 そう考える心は確かにあります。人付き合いがうまくできるようになるのは、管理人の願いでもあります。だけどね、長年かかって構築された性格は、なかなか理屈どおりに割り切れるものでもないのも本当の心です。湿気は嫌でも、低いところにしか居場所がない人だっているんですよ。何とかしなくてはいけない、それでもどうすることもできないジレンマ、果たして克服することができるでしょうか。少なくとも、意気地なしの今の管理人にはできそうにありません。残念なことにね。

2006年8月16日 尺蠖の屈するは伸びんがため

 今の管理人は、最低です。堕落した生活にどっぷりつかってしまっていて、何もしようとしませんから。「こんなことではいけない」という気持ちがいつしか「もう何もかもどうでもいい」という考えに変わってしまい、現状を変えようと努力をしないどうしようもない人間です。そのくせ、不満だけは一人前に持っているのですから、手に負えません。

 だけど、こんな管理人にも一応の言い訳はあるんです。ショックな出来事に遭遇し、まだそのダメージから立ち直れていないということがひとつ。今後の人生の先が見えない不安から、精神的に不安定になっているのがひとつです。まあ、しょせん言い訳は言い訳でしかありませんけどね。

 尺蠖の屈するは伸びんがためということわざがあります。尺取虫が体を曲げて縮まるのは、次に伸びようとするためであるということから、将来大きく発展するために一時の屈従を忍ぶことをいいます。なるほど、そういう考え方があるのですか。確かに、尺取虫は一見すると体を曲げて縮めることで後退しているようですが、次に伸びることで確実に前進していますもんね。

 ここで、ポジティブシンキ〜ング!管理人は尺取虫なんです。現在怠けているのは、心のダメージを癒し、不安を軽減するための体を曲げて縮んだ状態なんです。後退しているように見えますが(実際後退しているんですけど)、将来前に進むための準備をしているんだと考えることにしましょう。

 だから、現在休んでいるのは仕方のないことなんです。現在やる気の出ないのは仕方のないことなんです。現在貧乏なのは仕方のないことなんです。将来大きく発展するための必要悪なんですから。ああっ、なんて自分に都合の良い考え方なんでしょうね。でも、何か元気が出てきたような気がします。

 それでも、いつまでもそんなことわざに甘えていてはダメですけどね。尺取虫だって体を曲げて縮まるのには限界があるように、永久に後退し続けることはできません。それに尺取虫は確実に伸びる動作があるのですからいいですが、管理人の場合あまり怠慢に慣れてしまうと、伸びることをしなくなる可能性も無きにしも非ずです。そうなれば堕ちてゆくばかりです。

 尺取虫は、速くは進めません。同様に、管理人も速く進むことはできないでしょう。でも、どんなに遅くとも尺取虫が前に進むように、管理人も少しずつ前に進みたいと思います。自分の人生ですから、他人と競ってもしようがありません。マイペースでいいじゃないですか。前進を続ければ、いつかきっとゴールも見えてくるはずです。そのときまで、生きるべし。

2006年8月17日 小人閑居して不善をなす

 管理人が他の人より有利な点があるとすれば、唯一自由になる時間だけはたくさんあることでしょうか。だからといって、時間を何かに有効に利用しているかといえば、そんなことはないんですけどね。特に、最近はやる気がなく、ダラダラと過ごしていますから、時間の無駄遣いです。

 管理人だけかもしれませんが、人間、暇になるといろいろなことを考えるものです。管理人の場合、悪いことばかり考えてしまいます。悪いことといっても、別に悪事を働こうというわけではありませんよ。気が小さい管理人がそんな大それたことができるはずもありませんからね。管理人自身に関する悪いことを考えるのです。

 ひとつは、過去の悪いことばかり思い出します。思い出したくない過去が次々と蘇ってきます。なぜか、管理人は嫌な記憶だけはよく覚えているんですよね。執念深いからかな?そして、「なぜ、こうしてこなかったのだろう」、「あの時こうしていれば・・・」など、後悔の念で頭がいっぱいになります。

 もうひとつは、将来の不安です。「このまま、何をやってもうまくいかず、寂しく死んでいくんじゃないだろうか」そんなことばかり考えてしまいます。だって、今のところこれからの人生に何の光明も見えないんですからね。真っ暗闇でござんす。でも、本当に怖いのはそんな考えを受け入れて、「もうどうなってもいい」、「いっそ楽になったほうが・・・」とまで考えが及んでしまうことです。

 小人閑居して不善をなすということわざがあります。考えが浅く、品性が劣っている人間は、暇があると良くないことをするものだという意味です。まったくその通りです。管理人は典型的な小人ですから、ろくでもない考えばかり浮かんでしまいます。唯一の救いは、ろくでもない考えを実行に移すだけのエネルギーがないことでしょうか。

 過去を悔やんだところで、何もならないのです。やり直しのきかないのが、過去なのですから。将来を不安に思っても、始まりません。どうなるのかわからないのが、未来なのですから。そんなくだらないことを考えて、悲しんで苦しんで過ごすことほど、無意味な時間の使い方はありません。本当に不善をなしているに等しい行為です。

 小人が暇だから、不善をなしてしまうのです。何か集中できることを探して、余計なことを考える暇を与えなければよいのです。一所懸命頭を使い、体を動かし、汗を流せばちっぽけな悩みなど忘れてしまうと思います。ただ、ままならないもので、そういう理屈はわかるのですけど、じゃあ、何をしたらよいのか見つからないし、何かを始めるエネルギーも足りないのが現在の管理人です。どうするべきかわかっていても、どうすることもできない自分が歯がゆいです。本当にどうしようもない人間ですね。

2006年8月18日 情張りは棒の下

 管理人は気が小さいのに強情張りという、わけのわからない性格をしています。普通、気が小さければ何事に対しても従順でおとなしく言うことを聞くというのに、管理人の場合は妙なところで意地を張って譲らないところがあります。我が強いというのか、依怙地というのか、とにかく損な性格であることは間違いありません。

 人付き合いにおいてもそうです。本当は寂しくてしようがないのに、自分から仲間に入れてくれと頼むことができないのです。人から誘われるのをただひたすら待つという姿勢です。また、人から誘われてたとしても、素直になれません。これでは、うまくいくはずもないというのに。そうなったらなったで、心の中では「別に平気だもん」、「独りのほうが気が楽だ」などと強がりを言って、自分をごまかすのです。

 そんなだから、いつか孤立してしまうのです。それどころか、「あいつは変な奴だ」と思われるようになり、さらには「あいつと付き合っても面白くない」になり、終いには、「あんな奴放っておけ」となるわけです。一度そうなってしまうと、なかなか元には戻りません。強情を張ったばかりに、最悪の結果となった典型的な例です。

 情張りは棒の下ということわざがあります。いつも強情を張っている者は、ついには人に打たれるようになるという意味です。その通りですよ。せっかく人から親切にされているというのに、強情を張って断り続ければ、いつしか誰からも相手にされなくなるだけでなく、周囲から陰口を叩かれるようになっても仕方ありません。

 自分の確固たる信念の元に強情を張るのは良いでしょう。自分の信じる道を進むのだから、正しい行為です。でも、ただ単にちっぽけなプライドのためだとか、天邪鬼な性格のためだとかで強情を張るのは、馬鹿げた行為です。ただのわがままです。その結果として、周りから嫌われていては目も当てられませんよ。

 大体、強情を張った人だって、心の中ではわかっているはずです。馬鹿なことをしたということを。そして、後悔するのです。「なぜ、もっと素直になれなかったのか」と。管理人がそうだったように。まさに、後悔先に立たず、気がついた時にはすでに手遅れです。そうならないためにも、強情を張るのはやめておいたほうが無難です。

 強い意思がないのなら、強情なんて張るものじゃありません。結局、強情を張るということは、他との交流を自ら断っていることに他ならないのですから。天才や君子のような非凡な人ならまだしも、凡人である管理人のような人間には、強情など百害あって一利なしです。こんな性格は早いとこ直さないと、ろくな目に遭いません。管理人は、十分堪能させていただきました。悲しいことにね。

2006年8月19日 知らざるを知らずとなせこれ知るなり

 世の中には、まだまだ知らないことがたくさんありますよね。まあ、神様じゃないんだから、知らないことがあっても当然ですけどね。でも、知らないことでも見栄を張って知っていると思い込みたくなるのが人の常です。特に、大勢の人達が知っていることを堂々と「わたしは知らない」なんて、なかなか言えるものではありませんよね。

 知らなくていいこともあります。だけど、生きていくうえで、知らないとまずいことも数多くあります。大事なことを知らないまま放っておくと、それはそれで問題です。例えば、学校の授業などで、知らないことを放置しておくと、今後それを応用した問題など全てがわからなくなります。それで、授業についていけなくなることだってあるのですからね。

 自分一人だけの問題では済まされないこともあります。会社の仕事などはそうですね。与えられた仕事のやり方を知らないのにプライドが邪魔をして教えてもらわなければ、できるはずがありません。そうなれば仕事が自分のところで滞ることになり、、後に控えた周りの人間に迷惑をかけることになります。そして、上司にも怒られます。そりゃあ、まずいですよね。

 知らざるを知らずとなせこれ知るなりということわざがあります。知らないことは素直に知らないとしなさい、知っていることと知らないことを区別することこそ、本当に物事を知っているということであるという意味です。何だかややこしいことわざですが、知らないことを知らないと認められる人が本当の賢い人だということですね。

 知らないことを知らないと認めることは、結構勇気のいることです。自分で自分をバカだと認めるようなものですからね。でも、知らないことを知っているように繕っていては、知識も学問も進歩しません。いいじゃないですか、バカでも。アントニオ猪木さんもいっているではありませんか、「バカになれ!」と。だけど、それを認められる人こそ本当は賢いんですよ。

 ましてや、新しいことに挑戦するのなら、知らないことがたくさんあって当然です。知らないのだから一から勉強して知識を吸収しようという姿勢と、知ったかぶりをして部分部分だけしか勉強しようとしない姿勢では、成果は雲泥の差です。時間が経てば経つほど、差は拡がっていきます。結果的に成功する人とそうでない人の違いは、そこでつくのではないでしょうか。

 だからといって、「知らなくて何が悪い」というように開き直っていてはダメですよ。「知らないから、しっかり学ぼう」という謙虚な態度でなければ意味がありません。多少物事を知らないことは恥ではないのです。本当に恥ずかしいのは、知らないことを知らないまま放っておくことだと思います。管理人なんて、一般常識さえ知らないんですからね。それは、人として恥ずかしいですわな。人生、日々勉強ですよ。

2006年8月20日 士は己を知る者のために死す

 管理人の本心を知る者は、おそらく一人もいないでしょう。管理人の正体を知る者もまた、いないでしょう。とても寂しいことですが、実際そうだと思います。だって、誰に対しても素顔をさらけ出していることがないのですから、当たり前です。もっとも、心の中を知られて困ることも多いのですけどね。管理人は、レッサーパンダのように腹黒いですから。

 人から認められるのは、とても嬉しいことです。そして、必要とされるのはもっと嬉しいことです。例えば、会社において、自分を信頼してくれている上司から仕事を任されれば、その信頼に応えるために頑張ろうという気になるものです。期待されていれば、期待を裏切らないように全力を尽くすでしょう。逆に、そりの合わない上司から仕事を押し付けられれば、必然的にやる気も低下するってものです。

 士は己を知る者のために死すということわざがあります。立派な男子は、自分の真価を知ってくれる人のためには、命を捨てることを惜しまないという意味です。現代においては、命を捨てるなんて大げさなことはないかもしれませんけど、自分を正当に評価してくれる人のためには損得勘定抜きで力になろうとするという意味で、同じことです。

 管理人は、立派な人間では到底ありません。そんな管理人だって本当の自分を知ってくれる人がいれば、命までささげるとは言いませんけど、その人の為に心から尽くそうという気になると思います。だけど、残念ながら、管理人にはそこまで管理人のことを知ってくれている人はいませんでした。だから、自分のことしか考えない人間になってしまったのかな?

 だったら、管理人は自分を知ってもらうために、努力したことがあったでしょうか。心を開いて人と付き合ったことがあったでしょうか。答えは否です。自分の心を隠したまま、表面的な人付き合いしかしてこなかったように思います。それで、誰も自分のことをわかってくれないなんて文句をいうのは、筋違いもいいところです。

 まずは、自分の真価を知ってくれる人がいなければ、このことわざも意味をもちません。自分の真価を知ってもらうためには、嘘偽りなく、本音で語らなくてはならないでしょう。そして、長い時間をかけて信頼関係を構築していく他ありません。それができなければ、人が